波乗りと南湖院

 雨のち晴れ。
 夕方自転車に乗り極楽寺から稲村ガ崎に抜け、暫し高台から海を眺め休憩。
 波高くサーフィンに興じる人々時に気持ちよく時に飛沫に揉まれ、夕陽は白き靄に包まれ潮の香り一層強く感じる。
 海を見ると思い出すことがある。
 その昔、茅ヶ崎に南湖院という東洋一の結核療養所があって、今でこそ立派にリニューアルされかなり高級な老人向けの施設に変貌しているが、私が子供のころは建造物が廃墟としてまだ残っていて、かなり不気味な所謂お化け屋敷みたいな存在だった。
 偶々幼少時に近所で暮らしていたこともあり子供にとっては格好の遊び場であり、周りの大人たちに「あそこに行ってはいけませんよ」と何度も注意されたものだ。
 南湖院は常に波の音に包まれ潮の香りが充満していた。
 私が感じるのは、潮の香りと命の因果関係についてである。
 海岸沿いで生活している人は恐らく麻痺してしまうのではないかと想像するが、たまに強烈な臭いに接すると死の世界の近くにやって来た気分になり、何だかやりきれない衝動に駆られる。
 当時不治の病と云われていた結核により、どれだけの人が亡くなったことか考えるだけで嫌な気分になるが、南湖院だけでも相当な数になるのだろう。
 そんな場所で無邪気な子供は無意識のうちに「カゴメ遊び」やら「かくれんぼ」等の鬼を囲う遊びをしていたのだから怖しい気持ちになる。
 子供はいつかは大人になり世代に合う遊びを求めるようになる。
 波乗り好きはオフの土日に海に来ることを求めず、今日のような波の高い日を求める。
 母なる海は全ての命の源であり、彼らは羊水に抱かれ、時に呼吸を止め、スリルを味わいながら、生まれる以前の自分自身と対峙するのだ。
 因みにカゴメ遊びの「後ろの正面だあれ」は、「次は誰の番だ・・」という意味らしい。