フランクVnソナタ レコード①
前回、悲愴交響曲の事を書き、情緒の無い学に引っかかりもしないプルーストもどきになりかけた己の不甲斐ない精神に興ざめし、自分で書いているのに意味が判らず「なんだこれは」と少し修正したり、見られる覚悟が必要なブログの恐怖を感じております。
そこで、今日はフランクのバイオリンソナタについて。
我が家にはオイストラフのレコードと女性奏者ボベスコのCDがあり時々楽しんでおりますが、評論家先生の推薦本の類はあまり興味がなく一般的に誰の演奏が知られているのか知識が無い。
宅の二種に不満は無いのですが、オイストラフは自信に満ちた堂々とした立派な内容、ボベスコは女性的な優しさがありどこか艶っぽい流麗な感じ。
私はフランクのソナタに生々しい思い出があり、学生の時に音大に通う友人に誘われて出かけたコンサートに話は遡る。駒場のもう無いのかなぁ(あったらごめんなさい)エミナースという汚いホールで、同じ音大の友人達も数名いてロビーで話し、はじめて今日の奏者は彼らの大学の先生であると知った。
演奏者の名前も曲もフランク以外全部忘れてしまったのですが、一人の女子音大生がポロポロ涙を流しながらフランクを聴かれていたのを強烈に覚えている。
終演後の話で彼女が恋をしていると知った。そして大学での当時の課題曲がフランクだった。
私は女性の涙が苦手でその場で関わりを持たないようこころがけたが、とても聡明な印象の美しい人で、抱えている背景など知る由も無いのだが、どうにか望みが喜びになりますようにと願った。
私は帰りの電車の中でも、渋谷の雑踏でも、甘美な旋律が頭の中で嫌なくらいリフレインし、感覚的にこの日を境に、私が彼女と話をしたり、音楽会などで遭遇したりすることはもう無いのだろうと感じた。
事実あの日以来見かけてもいない。
後日談として恋愛は「やはり成就しなかった」と、人伝えに聞いた。
フランクのバイオリンソナタには「きれい、うつくしい」等のありきたりの言葉では解決できない、ゲーテの云うメフィストフェレス的デモーニッシュなペーソスがあり、作曲者が何かのタイミングで奇跡的に享受したように思う。
旋律には一度付着したら匂いの消えない香水のような危険な刺激を感じ嫌悪を覚え、それでいて偶に直にでも聴きたい欲求が生まれる。
どこか性の倒錯に似た上昇気流があり気だるく内向的な密室の音楽、それでいて麗しい。
演奏家が淡々とこなせる器量があれば、或いは鈍い心なら平然と取り組めるかと分析するが、可能なら「あやうさ」を理解し人に聴かせる音楽に仕上げ取り組んでもらいたい。
世界的である必要なし、バイオリン奏者で私好みのフランクを奏でることができる人はどのくらいいるのだろうか。
そんな演奏があるのなら是非知りたいと思う。