深夜の海辺

 N響アワーブロムシュテット&ブッフビンダー「皇帝」素晴らしかった。
 聴きに行けばよかったです。
 音楽はやはりベートーヴェンだと、脳が揺れるくらい反応した。
 そして思い出した、最初の音楽が扉を叩いた時。
 私は子供、自宅にあったオーマンディフィラデルフィアの「運命」のレコードで、親が聴くたびに凄い世界があるものだと感じた。
 他にもベームの「未完成」やイストミンのショパンもあったけれど、ベートーヴェンは、ある種の恐怖として決定的で、心に深く刻み込まれた。
 その感覚がいつまでたっても変わらないのだから、もしかしたらあの時のレコードが一番のベートーヴェンだったかもしれない。
 別にオーマンディが特別とも思わないし、私の心は純粋に音楽に向けられたもので、ただ似たような世界観を今も求め続けているということ。
 初めて出かけた演奏会はブレンデルで、あの時は「月光」を聴いた。
 ブレンデルといえば、中学生の時、朝5時からFMで32曲のソナタ全部の放送があり、毎日目覚まし掛けて頑張って起きて全曲録音した。
 クライバーは4・7の交響曲カラヤンも4番、チェリビダッケは5番を聴いた。
 何回演奏会に行ったのか数えきれないし、感動もあれば逆もある。
 投資した金額は恐らく莫大。
 思い出は懐かしいけれど、感傷に浸っていても仕方ないし、次の貴重な体験を探しましょう。
 ところで、深夜に海岸に行き砂浜で音楽聴くと面白いです。
 そんなことを始めてしたのは比較的最近の話で、そのときは日本歌曲でしたが、終戦記念日で何本か蝋燭を立てて、少し離れた場所で花火やっている人がいて、ヘッドホンから流れてくる音楽が海の向こうから聴こえてくるみたいで、星空が明るく感じられて、嫌な雰囲気は無くて、寧ろ心穏やかなる雰囲気。
 生の尊さと、存在の儚さなんかを全身で感じ、死の恐怖からも開放されるみたいで、あぁ、宗教ってこんなものかなと思ってみた。
 私は典型的な日本人みたいで信仰心も無い。
 父が他界したとき、葬儀のやり方が解らなくて、我が家は禅宗と調べて知ったくらい。
 明け方、庭の大きくなりすぎた雑草を抜いた。
 薄っすらと靄がかかり涼しい、小鳥の挨拶今朝もマルチサラウンドの如し。