これから読む本

 取り留めの無いおかしな夢に魘され、台湾栗鼠の鳴き声で目覚めた。
 仕事の関係で、アーノンクールのチケット発売時間にアクションが起こせずモヤモヤしていましたが、昨晩のオークションそこそこの金額で落札できました。
 10月のバッハ「ロ短調ミサ」です。
 これでまたアーノンクールが聴ける。
 秋まで前向きに生きられる目的が一つ生まれ、悪夢の中身も忘れかけ清々しい朝。
 
 昨晩本屋に立ち寄り「樺美智子 聖少女伝説」江刺昭子著を買ってまいりました。
 題名の聖少女ってジャンヌ・ダルクのイメージなのでしょうか。
 安保闘争で死して伝説になったのでしょうか。
 題名が叔母から聞いた話とは全くリンクしないのですが、何はともあれ、まださわりしか見ていないから、これからゆっくり読んでみます。
 母方旧姓渡邊が沼津時代に樺家と交流があり、かなり親密な家族の次のような仲の良い関係だったそうで、それも母の伯父が(年が離れていたので、母はおじいちゃんとよんでいた。)宮内庁で仕事をしていたことから、文化的生活重視の樺さんのご両親から親しみを感じてくれたのだろうと聞いたことがあります。
 慣れない沼津について相談を受けたこともあったそうだが、こちらも元々は東京だからたいしたアドバイスができたとは思えない。
 米軍の来襲で樺家に焼夷弾等が落ち一時は渡辺家に避難されてきたそうです。
 美智子さん兄妹と海に行ったり本読んだりと遊んだらしく、叔母が裁縫をしていたので美智子さんの服をよく作っていたそうで、遺稿集「人知れず微笑まん」にある沼津時代の写真の服は叔母手製のもの。
 その時期に、特に母と叔母が美智子さんの母上光子さんにお世話になり社交ダンスの手ほどきを受け、それが楽しかったらしく、私は子供の頃に母から「女性とダンスをするときは、男性がエスコートをしなければいけない。」とか、「女性と食事する時あなたは下座に座ること、そして先に食べ始めてはいけない。お相手のお皿が空になる直前に食べ終わらなければいけない。」と西欧的マナーを必要に指導され、今思えば樺さんの影響だったのかなと想像するのです。
 だから小学生の頃からカレーは中村屋、フレンチは東京會舘と覚えさせられ、「連れて行って」と話すと「大人になり仕事をするようになってから、自分の稼ぎで行きなさい。」と言われた。
 「西田哲学を読みなさい。」とも言われた。
 小学生にそんなこと言うなんて可笑しい。
 しかし私はまだ読んでいない。
 ところで、生前母は美智子さんの話を私にしたがらなかった。
 昭和史のテレビ番組を見ていた時に新安保に話題が上ると「みっちゃん・・」と蚊の鳴くような声を出した母を思い出す。
 だから聞いてはいけない話だと子供ながらに知るのだった。
 因みに私はダンスができないし、相当にぎこちないワルツになるだろうし、それにそんなチャンスは今まで無い。
 それにしても宮内庁勤務の娘が戦時下でダンスしていたなんて信じられないけれど、少し誇らしくも思う。
 隠れて英語も勉強していたそうだ。
 叔母は今年の2・26に他界した。
 当時の話を聞ける人はもう誰もいない。
 だから、これから先は自分で調べ考える。
 今月15日は樺さんが国会内で亡くなり50年の節目であり、折しもそんな年に沖縄の基地問題が浮上し不快で仕方がない。
 そういえば全然関係ない父の言葉を思い出した。
 「男が上座に座れば、女性は男しか見えないよ。」
 今日は父の誕生日。