数字

 最近気になるニュースが幾つかあります。
(1)戸籍上生存者で200歳。
 テレビでは数日前までの186歳は西郷隆盛坂本竜馬より遥かに上と年齢比較。
 今回私は、この人ショパンシューマンと同い年であり、ワグナーの3才違いでサドと人生が多少重なっていると 思い馬鹿馬鹿しいが感心し、役所の仕事が揶揄されるのも仕方がない。                       (2)南米で地下に閉じ込められた労働者の安否。
 巧く解決救出し地上に出られる目標が4ヵ月後だからクリスマスだ、シェルター内部は35℃これは堪らない。
 私が狭くて埃だらけの暗黒の世界に閉じ込められたら、間違いなく精神的におかしくなるだろう。
(3)世間の気温上昇。
 週間天気予報では今週も暑く、東京で最高34℃、大阪で37℃、名古屋では一週間にわたり猛暑日つまり35℃ が続くそうだ。これまでの経緯をみれば何人かの死者が出てしまうのだろう。もしかしたら死者は私かもしれな い。
(4)刑場の公開。
 死刑囚は「今日です」と直前に執行を言い渡され、報道が正しければその過程を進む。
 絞首刑がルールだが、私が刑を受けるなら銃殺がいい。
 
 今回感じたのは、上記の項目に限ってではないだろうが、「人間不安の概念であり共通性は数字に集約されている」ということ。
 つまり数字は、虚偽であり、暗黒であり、死の可能性を含み、時に絶対的な死を受諾することになる。
 善悪のかなたに、つまり道徳の逆説的位置に存在している。
 関係のないような4項目の羅列に密接な繋がりを持ちあわせ、私たちは息苦しい社会の隙間を無意識のうちに通り抜けさせらているだけなのです。
 あくまで個人的な幻想ですが、想像力と開放を夢見て文章を続けるだけです。