デュラス「苦悩」

 マルグリット・デュラス「苦悩」を読みました。
 「苦悩」は、来月パトリス・シェロー演出舞台があるから、その予習で、本屋に無いからネットオークションで落札し昨日届いたばかり。
 デュラスに限った事ではなく映画や舞台は極力原作を読んだ上で観るようにしているのは、他者による主義主張の介入を恐れ、先ずは原作の持つ力を最初に吸収したいと単純に思っているから。
 本来はフランス語で読むべきだけれど、其処までの能力はありませんし時間も無い。
 それでも翻訳者田中倫郎氏は解りやすくデュラスの世界に導かれた。
 昔読んだ「愛人(ラマン)」は意味が解らないくらい酷い翻訳だったから途中で放棄し、それからというものの精神的にデュラスを避けてしまっていたから、今回はいいきっかけになりそうで(実際ラマンを翻訳した人は他のデュラスは手掛けていないみたい)今後代表的な作品は読みたいと思った。
 この話は所謂日記みたいな内容。
 ナチスにより強制収容所に送られた夫の帰還をひたすら待ち続ける作者の思いが綴られている。
 文章は1945年の4月から始められているがデュラスは「苦悩」を書いた記憶が無いそうで、作品が出版されたのは40年後の1985年の春。
 偶然にも本棚に2冊のノートが発見され公開の運びとなった。
 それにしても記憶が無いなど普通は考えられないけれど、思考と感情の途轍もない混乱が当時の作者に襲い掛かり如何する事もできない状態だったのだと読んで理解した。
 その混乱に対して殆ど手直しを加えていないそうだから、文章は同じような形容が何度も出てきたりバランスは良くないが描写は極めて現実的で、種族民族を超越し人間を告発するような異常な体験をしたならば記憶程度は放棄しなければ生きて行けない術を人は兼ね備えていると考えてもいい。
 具体的な内容には触れないことにしますが印象的な部分を引用いたします。
 「私が兄と自分の子供をなくしたとき、私は苦悩も失ってしまい、苦悩は謂わば対象なきものとなり、過去の上に築かれていた。ここでは希望は完全無垢であり、苦悩は希望に根をおろしている。私はよく自分が死なないのに驚く。昼も夜も、生身の肉深く氷の刃を突き刺したまま生き延びるのである。」