不滅の少女
2002年に発売されたから随分前のユリイカで、当時は澁澤龍彦の最初の奥様程度の知識しかなかったのですが、澁澤さんよりも遥か昔から矢川さんの本に私は出会っていて、それは子供向けの「グリム童話」や「ゾウのババール」「不思議の国のアリス」でいちいち翻訳した人まで覚えていないから、意識し多少無理をし、もしかしたら頑張りながら読み進めた澁澤の対極、無意識の中で既に入り込んでいた矢川澄子だったみたい。
読みながら2人は互いの魅力に惹かれ愛し合い奇跡的な出会いだったと感じ、それでも互いを切り離して独立した文士、オンリーワンな存在だったと、私もそろそろ考えたい。
それでも、今日のブログだけでも関係性の余韻に浸りたいのは個人的な憧れであり矢川さんは美しい人。
もし人生の中で矢川さんに出会っていたのなら、悲しいかな私は澁澤さんにはとてもなれないけれど、時代と年齢を超えても、確信をもって恋に落ちていたと思うから。
時々散歩する鎌倉裏小町、(観光客が来ないこの辺りを勝手に裏小町と命名した。)旧澁澤宅裏に流れる滑川東勝寺橋の欄干に凭れるように腰掛けている澁澤撮影の写真があって彼女は本当に此処にいたのだなと、今は誰が住んでいるのか当時とそのままの古い借家は地震でもあったなら一気に崩れそうだけれど、眺めているとサドがこの場から発信されたことが、感慨深い。
ただそれだけの理由で鎌倉に引っ越してきて良かったと感じるほど。
ユリイカは普段売っているものより厚くて400頁近くあるから読むのには少し時間が掛かるはずですが、この手の雑誌はいつもスタスタ進んでしまう。頁が少なくなるのが勿体無い。
「たとえばO嬢の物語ね。澁澤が引き受けたものの・・時間が足りないから、お前ともかく全部訳しといてよ(笑い)。訳しておいて、あとで澁澤が、(略)私はもう彼の専属だったもの。彼によろこんでもらえる。やっていればいいんで、幸せだった。」
ユリイカの中の目立たない場所で、私はどこかで矢川さん訳かな?と疑っていて、やっぱりそうだったみたい。
ユイスマンスやサドもそうだったら、それでもきっと澁澤さんだけではなく、矢川さん、画家の金子さん、人形のシモンさん、写真家細江さん、舞踏家土方さん・・色々な人を全部ひっくるめて澁澤龍彦だったのかなと思った。
矢川さんは10冊程度しか読んでいないけれど、上記の問題を含めたらもっと読んでいることになりますが、考えても仕方がないことで、時間をかけて己に課題を与え、都度正確に答えを紐解いていきたい。
編集の仕事、澁澤のサポート、詩、エッセイ、児童書を中心とした驚く数の翻訳。
独自の変遷のなかで、何故か普遍的な問題が表れるように感じられることが興味深い。
児童書は生まれてこれなかった自分の子供に読み聞かせるように書いたのでしょうか。
自死との関係性はあるのでしょうか。
何故か悲しみが先にやってくる。