押し付けの営業は社会悪である。

 品川駅構内にはいろんなショップがあります。
 横須賀線に乗り換る前にぶらり歩くと珈琲専門店があって、有名なのか?私には初めての「サザ珈琲」。
 ちょうど豆が無くなったので買わなければと思い立ち止まり、売られている商品を眺めだしたら、横からバイトらしき男性が「チョコレートの中に珈琲豆がはいっています。どうぞ」と話しかけてくる。
 毒々しい蛍光色だったので気持ちが悪くて、
 「結構です。」
 更に別のバイトらしき今度は女性が「淹れたての珈琲をどうぞ。」と紙コップを差し出してくる。
 コップの中を覗いたら紅茶みたいに薄くて底が見えているから駄目だなと思い、
 「結構です。」
 結局ブラジル豆を買って帰ってきましたが、時々思うのですが、ああいう形のお節介な営業を強要する会社の体制が理解できない。
 百歩妥協し、躊躇している人に珈琲を薦めているなら共感できなくはないが、既に店の中で珈琲豆を選んでいる状況の私に何を求めているのだろうか?
 彼らは悪意は無く一生懸命なのですが、一瞬買うのを止めようかと考えたのも事実である。
 鎌倉にもお節介な営業があって、それは人力車なのですが油断しながら歩いていると「乗りませんか!」なんて話しかけてくる。
 あの人力車の集団は一見古都の風景に調和しているように感じられるけれど、庶民の立場で言葉にすると最悪に邪魔な存在であり、できれば無くなってもらいたい。
 大袈裟な話ではなくて鎌倉市民は皆そう思っているのじゃないかな。
 こんなことを書きながら、買ってきた珈琲があまり美味しくないなと感じている私。
 もう買わない。
 前に北海道に行ったときにも同じような経験をしていて、函館の市場なんか行ったらしつこいくらいに「お安くしますから・・」って、とにかく買えと煩い。
 そんな時、「ああ、もう此処に来ることはないだろう。」と静かに空を眺める。
 不味い珈琲で暫く我慢しなければならない。
 
 @今朝の出来事
 宗教の勧誘が訪ねてきて目覚める。
 10時前から失礼である。
 「宗教の朝は早い」のだろうか?
 昨日買ってきた珈琲を通常の2倍位濃く淹れてみたら、そこそこ美味しいことに気がついた。
 山桜見事に満開である。
 ソメイヨシノはもう少し。