お夏狂乱 ⑭

 オフハウス(つまりブックオフハードオフ)に行ってきました。
 レコードを時々チェックしに来るのですが、ジャンルもごちゃごちゃなので少しばかり厄介な作業。
 それでも1枚が100円ですから気軽に5枚購入。
 トスカニーニ指揮NBC響、メンデルスゾーン「イタリア」「宗教改革
 デュトワ指揮モントリオール響、ラヴェル「ダフ二スとクロエ全曲」
 メータ指揮ロスフィル、レスピーギ「ローマの祭」Rシュトラウスドン・ファン
 フェドセーエフ指揮モスクワ放響、ショスタコーヴィッチ「革命」
 それから・・「永遠の名盤 藤原義江関屋敏子」これには帯が付いていまして、「日本ビクター40周年記念特別販売 我等のテナー、私達のプリマ 一世を風靡した歴史的名盤」と大袈裟に書かれているから、これは聴かないわけにもいくまい。
 それで今までその「永遠の名盤」を聴いていたのですが、色々な意味で凄い。
 昭和の始め頃、つまりSP時代の録音ばかり。
 われらのテナーが「荒城の月」「出船の港」、この辺りはジャブ程度ですが、日本語で朗々と歌い上げる「帰れソレントへ」「女心の歌」は驚いたことに伴奏がミラノ・スカラ座管弦楽団と紹介されている。
 「ハリのある美声のテナー・・・・・南欧の海と空そのもののように明るく晴れやかである。」・・・だそうだ。
 しかし白眉はB面の関屋敏子
 1曲目から関屋敏子モード全開で、そうは申しましても初めて聴いたのですが、「野いばら」「夜の調べ」「ラ・パロマ」はやはりミラノ・スカラ座オケと書かれてある。
 最後の「雲のあなたへ」の作曲・演奏「筝」宮城道雄なのですから感慨深いものがあります。
 しかし、表現が難しいのですが、誰かに聴かれたら恥ずかしい歌のような妙な気持ちになってしまい、途中からヘッドホンでレコード鑑賞。
 このレコードとは別の資料で以前から関屋敏子に関心がありまして、資料といっても大正14年に行われたデヴューリサイタルのプログラムなのですが、これが異常なプログラムで、とりあえず紹介すると、
 第1部
 ベッリー二「夢遊病の女」 アミーナのアリア
 プッチーニラ・ボエーム」 私の名はミミ
 ヴェルディリゴレット」 慕わしき御名
 第2部
 マイアべーア「ディノラ」 影の歌
 マスネ「マノン」 さようなら私たちの小さなテーブルよ
 ヴェルディ「椿姫」 ああ、そは彼の人か 花から花へ
 第3部
 ドリーブ「ラクメ」 鐘の歌
 ドニゼッティ「ドン・パスクァーレ」 その眼ざしに彼の騎士は
 グノー「ロメオとジュリエット」 私は夢に生きたい
 第4部
 シャルパンティエ「ルイーズ」 その日から
 ブロッホブロッホのヴァリエーション」
 以上である。
 この時敏子21才なのですが、少しでもオペラを聴いたことがある人なら信じられない内容だと思うはず。
 歌手として成功したのでしょうか、イタリーやアメリカ、フランス、イギリス、ドイツ等いろんな場所で舞台に立ち、1932年(昭和7年)に、パリ凱旋門近くのヴィクトル・ユゴーのペンションを仮の住まいにして作曲活動に入っている。
 しかもオペラで・・題名が「お夏狂乱」
 その年の12月パリで、モーツァルト交響曲とバッハのカンタータが演奏された後に「お夏狂乱」が初演されている恐ろしい事実で、このオペラには勿論「狂乱の場」があるらしい。
 昭和12年に結婚、昭和16年に離婚、その年の11月23日に自殺。
 太平洋戦争の2週間前です。
 作曲に行き詰まったのが原因か、歌えなくなったからか?
 レコードは昭和4年から昭和8年の録音。
 兎に角、今回私は初めて声を聴いた。
 歌は上手いのかな?はっきり言ってそうでもない。
 でもなんか凄い。