芸術にコミットメント
バイエルン国立歌劇場日本公演は「ローエングリン」のチケットだけが買えたのですが、今回はどうしてもグルヴェローバの歌う「ロべルト・デヴェリュー」を聴いておきたいと思いはじめた。
これまでも何度となく実演に接してきたディーヴァだけれど、勘ですが日本でのオペラは最後のような気がしてきたのです。
そこでヤフーオークションで調べたら安いチケットが売りに出されていて、競合も無くすんなり落札ができました。(定価より1,000円だけ高いF券でしたが、E券よりは安い)
公演は何となく仕事が入りそうな日付ですが、そんなことよりオペラを優先させても良いと考えた。
ごく稀に仕事を放棄しても聴きたい舞台がやってくる。
それはコロが歌ったワグナーだったりクライバーでしたが、最近はそこまで気持ちが高ぶるものは無くて、アーノンクールもかけがえのない体験だったことは間違いないけれど、あれは聴いたから理解できたのであり、聴く前から心の高ぶりがあったわけではない。
自室のテーブル上に数年前に東京文化会館の楽屋で私と一緒に撮ってくれたグルヴェローバさんの写真があって、なんで私が世界の歌姫と写っているのか今以って不思議でならないけれど、何が起こるか解らないのが人生である。
原発の影響でキャンセルになる事態を恐れておりますが、でもオペラ公演が中止になったとしてもグルヴェローバは来るような気がする。
明日から本公演が開始するラフォルジュルネなんかにしても、ギリギリまですったもんだしてプログラムが随分少なくなりましたが、(私は演奏家の来日拒否を軽蔑してるのではない。)それでも来る人は来るのである。
デュメイ、ダルベルト、ベレゾフスキー、ライプチィヒ四重奏団etc、アルゲリッチだって九州で音楽祭をするはず。
我々は音楽に感謝しなければいけない。
どうして彼らは来るのだろうかと改めて考えると、恐らく音楽に対してコミットメントしているか、していないか、の違いだけかもしれない。
彼らにとって音楽は生きる指針であり、そんなもんじゃない人生そのものだろう。
つまり本当の芸術に接するチャンスが目の前にある現実。
言葉は悪いがいっぺんに篩いにかけられて本物だけが残った気がしてならない。
今年のコンサートは熱いかもしれない。