マーラーの映画
先週まで夜の渋谷で上映していましたが、今回ちょっとしんどかったのは午前10時15分開始ですから、私にとっては早朝みたいな時間で、頑張って起床し眠い目を擦りながら劇場に到着。
誰も来ないのではないかな?と思いきや既に10人くらい行列になっていて、自販機の缶コーヒー飲みながら、よくわからないのですが偶然サービスデイらしく代金は1,000円、ここの映画館は懐かしい映画館特有の匂いがする。
そういえば、昔ラジオを聴いていたら「朝起きた時に聴きたくない音楽・ベスト10」みたいな企画があって、さだまさしの「防人の歌」が1位で・・海は死にますか、山は死にますか・・そりゃそうだと笑ったことがありましたが、まさに朝からマーラーはそれ以上に身体にも道徳的にも良くないと感じました。
映画は主人公を診察するフロイトとのやり取りを中心に、マーラーのアルマに対しての愛情と苦しみ、グロピウス、マーラーの姉、アルマの母、ブルーノ・ワルター等の証言を交え、音楽家としての存在以上に、時に見るに耐えない暴力的な夫婦の異常な関係性だけにスポットを当てながら進んでいく。
女の情念は凄すぎて、本当にアルマがああだったのか疑問であるが、少なからず映画の中だけではマーラーがあまりに可哀想に感じられてくる。
フロイトとのアポの話は有名ですが、かねてから想像していた対話ではなく、あれでは完全に治療であり史実とは随分異なるように思えた。
そこそこの名作かもしれないが、個人的には受け入れがたい世界なのは全体的にカメラワークが甘く編集にも工夫が感じられなかった。
簡単に説明するならダラダラしているのです。
最初から最後まで10番のシンフォニーが流れ続け、ほんの少しだけ5番の4楽章と4番の1楽章が使われていたかな。
また劇中でバッハと、それからワグナー「ワルキューレ」1幕の「冬の嵐は過ぎ去り」がマーラーとアルマのピアノ連弾で実際のテンポではありえない程のスピードで演奏される箇所は、ジークムントとジークリンデが抱擁を交わすように官能的だったから、最初から祝福されない婚礼だったと意識した上での比喩かもしれず、監督のちょっとした知的なアンチテーゼかもしれない。
そういえば不倫相手?元恋人らしきソプラノ歌手が「ワルキューレ」の今度は3幕でブリュンヒルデによって歌われるジークリンデへの受胎告知のシーンは、生まれ出る命に未来が存在しないことを暗示しているのかもしれないと考えた。
100年の命日に鑑賞して良かったと感慨深く思った。
また観たいか?
もういいです。