「さすらう若者の歌」

 今日は紀尾井ホールで「イドメネオ」の日本語初演なるものがありまして、主役の一人ソプラノさんが知り合いで「良かったら来てね。」メールがあったのですが、小生夕方からお仕事なので「ごめんねNG」を出しました。
 しかし、あのもの凄いアリアを小柄な彼女が日本語でどうやって歌うのか興味はあるのです。
 数年前に夜の女王は聴き完璧だったから、歌えるのは解るのですが想像がつかない。
 現場に行けないのだから応援にもなりませんが、今頃緊張の頂点だろうなと遥か紀尾井に思いをはせる。
 買ってきたばかりのパナマ珈琲がどうも苦手で、今朝はパプアニューギニアブレンドして飲みました。
 当たり前ですがちょうど中間くらいの味になりました。今日も雨が降っている。
 ところで、マーラー克服企画の第4として「さすらう若者の歌」を聴きました。
 送っていただいたCDには上記の曲以外に別の歌曲も収録されていまして、初めて聴くから何だか解らなかったのですが、調べてみたら「亡き子を偲ぶ歌」でした。
 両方ともディースカウでモノラルだから若い時の歌唱でしょうが、この人は美空ひばりみたいに歌が上手いから音楽以前にディースカウを感じてしまい鼻につく程に普段は苦手なのですが、驚くくらい素晴らしかった。
 やはり私は勘違いしていたみたいで、マーラーは素晴らしい作曲家だと断言したい。
 気がつくのが遅いですね。
 他の交響曲も満足に聴いていないし企画はこれから先に進むけれど、マーラーの本質は歌にあると思うのです。
 手元にはワルターの「大地の歌」もあるのですが、あれは晩年の作品ですから暫くは聴かずに他の作品を優先させたいと考えています。
 「さすらう若者の歌」はマーラー自身の作詞で、ドイツ語なら「Lieder eines fahrenden Gesellen」と表記されるが、統一のテーマとして最初に作曲された連作歌曲のようである。
 詩の内容は「亡き子を偲ぶ歌」のリュッケルトなんかに比べれば、気が利いた素人程度なのかもしれないけれど音楽と対になった時に恐ろしいほどの魔力を発散する。
 ドイツ語の「ein Geselle」とはマイスターつまり親方の称号を獲得するために彼方此方町を渡り歩いた職人を意味し、或いは親方の称号を獲得できないままのベテラン職人をさすため、表記されている若者の意味とは趣の異なるものである。
 ワグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第3幕で、ザックスの徒弟だったダビッドが職人に昇格するシーンがあるが、まさに親方と徒弟の中間に位置するのが職人なら、我々音楽好きは兎角騎士ワルターエヴァの婚儀の条件としてのマイスター獲得の資格だけに注目してしまうけれど、もしかしたら歌合戦の翌日に職人ダビッドは彷徨う若者の如く詩を作りながら靴職人としての旅に出るのかもしれない。
 ドイツ詩の若者といえば、どうしてもゲーテのウェルテルあたりを想像してしまうが、ダビッドもしくは、それ以上に若き日のザックスと考えてもよさそうである。
 柴田南雄さんの「グスタフ・マーラー」(岩波新書)に作曲家がワグネリアンだったと記されていて、そこからも確証が導かれる気分だけれど、初期の歌曲に詩を書き、将来は音楽界のマイスターとして誰からも尊敬を受ける対象になりたいと願った形の表れと思えなくもない。
 しかし、その思いを世間に覚られては悲しみを感じるだけで、この歌曲は芸術家として未来をコミットした精神的支柱であり希望なのだ。
 「恋人の婚礼の時」、「朝の野を歩けば」、「僕の胸の中には燃える剣が」、「恋人の青い瞳」の計4曲のトータルでも15分程度の歌曲集で、歌詞の内容までは触れないが、マーラーの当時の心情と神経質な性格を思えば幾つかのアナグラムが潜んでいるようにも感じるけれど、そこまで書くとなると気が咎めるので止めておきます。
 第2曲「朝の野を歩けば」は親しみがあるなと思ったら、なんてことはない、第1交響曲「巨人」の第1楽章第1の主題と同じだった。
 評論家の先生なら「巨人」と「さすらう・・」のどちらが先かなんて考えるでしょうが、私にはどうでもいい。
 ただ詩の吟詠のようなディースカウの歌声を聴くと歌曲により高貴な印象を持ってしまう。
 伴奏はフルトヴェングラー指揮のフィルハーモ二ア管弦楽団
 ショルティブーレーズハイティンクテンシュテットも素晴らしいけれど、フルトヴェングラーは品格がずば抜けている。
 それでも、巨匠のマーラーはこれだけかな?
 交響曲を振らなかった理由はナチの時代の指揮者だったからチャンスが無かっただけではなさそう。
 音楽上の理由があったのだなと考える。
 「亡き子を偲ぶ歌」についても記そうと思っていましたが、時間が無いので改めて。