宙ぶらん

 伊集院静「宙ぶらん」の文庫本が発売された。
 単行本は2006年に店頭に並んだけれど、全てが私には初めて。
 月に一度の病院通いの序に手に入れた。
 病院通いは睡眠薬を貰っているのですが、最大でも28日分しか買えないのでだいたい月末に出動している。
 帰りの電車内であらかた読んでしまったけれど、10の短編で構成されていて美しい日本語の宝物のような文体。
 後書きによれば、モーパッサンを意識して書かれたようで、事実モーパッサンは約10年で280もの短編を発表していて、元来遅書きといわれる伊集院先生が一定の期限の中で取り組んだのですから、柔らかな表現とは裏腹に攻撃的な感性が開花した作品群なのかもしれない。
 中でも「煙草」「羽」「宙ぶらん」の3作にドキリとするほどの異様な衝撃を覚えた。
 記憶・失踪・死が共通のテーマか、起承転結万事全てが劇的な小説ばかりでは読み手は草臥れてしまうけれど、この本では穏やかな人間関係を育みながらも、無意識のうちに遣る瀬無く切ない現実が音も無く背後から迫ってくる印象。
 例えば身近な人の死を受け入れる時、自分はその場に何かの事情でいられなくて、第三者からの告白によって現実を知るような体質と表現したら解りやすいでしょうか。
 元々我々が認知できている社会の現実など最初から曖昧な存在で、結論付けて語ることなどできないのではないかと感じるのです。
 内側の世界、心の広さは計り知れないほどに深い。
 人は何かのタイミングで忘れかけていた記憶をふと取り戻す。
 議論を交わすのではなく、運命とは、宿命とは。己に問いかけ、静かに思考したくなる出会いだったように感じる。
 薬を飲む時間です。