秩序

 NHKの「クローズアップ現代」でドナルド・キーン(89)のインタヴューがあり興味深かった。
 近々日本国籍を取得、人生の終焉を日本で迎えたいそうです。
 この人は日本人より日本的な考え方をする人で、幾つかの著作を通し私は多くの刺激をいただいてきた。
 キーンさんのインタヴューで高見順の日記を読んだ時の衝撃を挙げていまして、それは戦後の混沌とした上野駅の情景で、それは文庫本にもなっている「敗戦日記」だなと思い当たった。
 「敗戦日記」は名文で吸い込まれるような感覚の中、あまりの素晴らしさに徹夜して読んだ記憶がある。
 それがきっかけで、昨年「高見順全集」を購入し、読破しようと試み恥ずかしながらまだ達成できないでいる。
 短編やら兎に角小説で躓いてしまい、日記ばかり先に読んでしまったのだけれど、また意識しながら取り組みたい課題でもあります。しかし高見順は日記の人なのかもしれない。
 キーンさんが指摘した事は「日記」の上野駅での人々の立ち居振る舞いの問題で、私は読んでいるのに、その情景を思い出すことができないのですが、戦争で何もかも失い最悪な状況なのに秩序を重んじる日本人の行動様式に美意識を見出しているのだ。
 外国人には特別な事として写るのだろうが、意識している日本人はいないのじゃないかな。
 具体的に何頁に書かれているのか確かめていないから曖昧ですが、恐らく電車に乗る時にきちんと並んでいたり、道路を渡るときに信号があったか知らないけれど、つまり混雑していてもルールを遵守する光景なのかなと感じた。
 今回の東北の悲劇にも似たような秩序を外国のメディアが報じているようですが、これは日本特有のものなのだろうか?私には理解ができない。
 そういえば鎌倉駅から自宅に帰る時にバスを利用しているのですが、2つの会社のバスでの利用が可能、それは江ノ電バス京急バスで、自分が神経質すぎるのだろうが江ノ電は乗り場に綺麗に横付けされていることが多いけれど、京急は斜めにずれてつまり道路と平行に停められていないことがたびたびある。
 私はそれがとても気になる。
 だから急いでいなければ待ってでも江ノ電バスにすることが多い。
 家人に「それは可笑しい。」と指摘されたが、神経質でもいい、気になるものは気になる。
 とりあえず「敗戦日記」のどの部分なのか確認してみます。
 キーンさんを見たり聞いたりするとき、サイデンステッカーの存在も思い出す。
 湯島のマンションで生活していて、岩崎邸が見下ろせる場所だったそうで、借景というアイデアがあったかと関心を抱いたことがある。
 川端康成ノーベル賞の時に「半分は翻訳者の力。」と言葉にしたそうだが、それは謙遜でもなんでもなく思ったままの発言と感じる。
 サイデンステッカーは自宅近くで転倒して帰らぬ人になった。
 文士として日本で亡くなった。
 ドナルド・キーンの日本での活躍に注目しなければ、何を書くのか楽しみである。