ベルリンフィル先行予約
来月ちょっとした旅行に出かける予定、安いプランを見つけたので旅行会社に申し込み金を払ってきました。
海外じゃないので、毎月のように上京される「ふじジョンさん」の立場から見たら、私の場合はその一回分みたいな感じでたいしたことないのですが、それでも何かしら予定があるのは前向きに物事を考えられる動機付けになる。
似たような気持ちになれたもう一つの大きな話がありまして、それはベルリンフィルの先行発売でチケットを予約したことでしょうか。
厳密な説明をするなら4月に婚礼司会をしたお客様と仲良くなり、「一緒にベルリンフィルを聴きましょう!」と誘ってくださり、先行予約は其れなりに高額ではありますが、一般発売の日に心配しながら電話をするのも大変なので精神的にとても楽になれた気分なのです。
それに経験上ベルリンフィルは簡単に電話が通じない仕組みなのか、つまり人気が異常ですからチケットが取れること自体が普通ではなく、あとはウィーンフィルとミラノスカラ座あたりが毎回簡単ではないと憶えている。
折りしも「マーラー克服企画」を課題にしているから、ラトルを聴くことで課題を完結させられそうな気がする。
ただ滅多に聴くことはなくて、自宅ではマーラー以外の音楽構造の単純なものが常に好ましい。
原体験は凄い音楽で、私にとっての9番はあの時が最初で最後みたいな印象になってしまい、考えようによっては不幸なのかもしれないけれど、本当に奇跡的な場に立ち会うと精神的に新しい物事を放棄する手続きは簡単なのです。
だから、インバルやシノーポリなんかが一生懸命マーラーを演奏してきた時代に小生は毒々しい溝に嵌ることなく健全かどうか知らないけれど、ベートーヴェンやモーツァルトを意識し岩波文庫を読み、どうにかして人生を遣り繰りしてきた気がする。
あの時代は最悪で「巨人」や「5番」が終わったとたんに馬鹿みたいに騒ぎ出すブラヴォー屋が大勢いて、音楽の良し悪しに関係なく、しかも知性と裏腹のくだらない自己主張が横行していたように思うのは、やはりマーラーが都合のいい音楽だったからと感じる。
私は徒党を組む事が嫌いで、この種の音楽を拒否した。
しかし本当は音楽なんか必要ないのかもしれないとも感じられる。
かつて、バーンスタインが来日した頃はパレスチナ問題が新聞の紙面に大きく掲載され、イスラエルフィル演奏会を妨害する動きもあって渋谷の駅前は某団体の装甲車だらけ、NHKホールに入る時に軽いボディチェック、花束なんかは爆弾が仕込まれている可能性があるからと没収されていたと思い出す。
「第四楽章は祈りである・・」
それから何かに書かれていた、・・どんな悲劇の後でも音楽は存在する・・という話。
今回のラトル&ベルリンフィル日本公演は特別意義深いように思えてならない。
まだ自宅で音楽を聴く気分にならない。
読書は一日一冊のペース。