聖なる朝の夢

 ブログタイトルを「聖なる朝の夢」と変えました。
 今までがベタなそのままのタイトルでしたからお洒落な題名にしたかったのですが、今朝カフカ「変身」ザムザのような不可解な夢から目覚めたので幾分俗っぽく感じられて少しだけ後悔している。
 それでも新しく考え直すのも面倒なのでそのままにします。
 ワグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第三幕四場のおしまいの箇所でデリケートな五重唱がある。
 その導入で靴屋ハンス・ザックスが、Die selige Morgentraum-Deutweize・・つまり「聖なる朝の夢解きの調べ・・」と歌い、続いて他の主人公達もそれぞれの思いを表現し重唱として形作られるのですが、オペラ芸術数あれど聴き手の心の隙間に優しく入り込み、できればいつまでもこの時間が続いてほしいと願わずにいられない、切ないほどに美しい音楽。
 しかも退廃の微塵もないのだから、ワグナーは天才かもしれないけれど、それ以前にこの領域に辿り着くまでの知識の積み重ねと強靭な意志、職人としての確かな技に敬意を持たずにはいられない。
 聴くたびに泣きそうになるのはどうしてかな。
 精神力の弱さ、R・シュトラウス「薔薇の騎士」終幕の三重唱でも喉に重い石を詰まらせたような思いになるけれど、どうやらシュトラウスはワグナーができなかった仕事をしたみたいで、つまり逆さまの言い方するならワグナーがいたからシュトラウスが生まれたように感じるのです。
 薔薇の元帥夫人は若き恋人と決別する強さがあり、しかも凛とした女性の潔さが見えてくる。
 あの姿は美しい。
 ではザックスを私はいつも考える。
 確かに威厳はあるが、そして考察はできるけれどどうやら中途半端な意見になりそうで、何もいま表白する必要もないだろうし、もっと年齢を重ねてから書くことにしたい。
 つまり小生はザックスの台詞に憧れた訳だ。
 そいつをタイトルとして引用したのでした。
 では、仕事に行きます。