坂の上のμ

 仕事で駅に着いたらいきなりドシャ降り、傘を持っていない人が駅に走りこんでくる。
 夕立というよりは南国のスコールに似た勢いの雨。
 埃っぽい臭いがしていたので降りだしたばかりか、私も傘が無い。
 どうしようかなと思ったら信号の向かいに「傘と鞄」という古い看板を発見、何度も歩いている街なのにこれまで全く気がつかなかった。
 黒でたいして特徴の無い折りたたみ傘を購入、周りの人たちはコンビニで買ったのか透明のビニール製ばかりだから街に大量発生した海月のような奇妙な光景。
 昨夜、伊集院静さんの短編集「坂の上のμ」(講談社文庫)を読み返し、全部で8つの小説が収録されていて最後の表題そのままの作品以外は年齢を重ねた男女の話ばかりで、どれも自然で美しい言葉に彩られていて、なんともいえない渋い大人の人生ばかり。
 自分の生活は小説みたいにややこしくなくてごく平凡な部類なのだろうが、もしかしたらちょっとした勇気が加われば、しかも1グラム程度の勇気や冒険心で似た感じになるかもしれないな、これが希望かなと気がついた。
 しかし戻れない子供の時代のお話だった場合は、思い出やら懐かしさ、心の中を彷徨うように記憶を探り出すしか方法がないみたいで悲しくなるもの。
 「坂の上のμ」がそういう話で、深夜に読み返したのがいけなかったのか、絶望的な気分になってしまった。
 絶望的なんて表現したら救われないみたいですが、人生は過去に戻りたくても戻れないもどかしさがあって、つまり美しき少年時代のストーリー。
 キャッチボール仲間少年3人の前にナホミという同年の少女が現れ、野球の面白さと坂の上からの眺めの素晴らしさ教える。
 「僕たちの街と僕たちの未来につながる世界・・小さな粒子みたいなものだけれど、いつかこの世界で大きな存在になる・・」と彼らは感じとる。
 ある日彼女の死の報せが届く、いじめに立ち向かう3人の思い、しかし死因はいじめによる自殺ではなかった。・・・簡単に説明すれば以上のような話。
 感涙に咽ぶ直前だったのだから、ピュアな心が自分にもまだあったのだな。
 この純粋な小説が不良大人伊集院先生の作品なのだから降参である。
 私は先生にはなれないけれど、どうにかして負けないような書く能力を身につけたいと思う。
 急に思い出したのですが、中学時代に近所の本屋に行ったら同級生の女の子とばったり会って、本屋を出たら今日みたいに急な雨、彼女は傘が無かったので自宅まで送ったことがあった。
 何を話したのか記憶に無いけれど、埃っぽい地面の臭いと彼女の髪のリンスの匂いを憶えている。
 そして、学校で見せる表情と別人のように感じられたっけ。
 翌日教室で数名の友達と馬鹿な話をしていたら、彼女がいきなり入り込んできて「昨日はありがとう。」と笑顔を見せた。
 「昨日なにがあったんだよ!」と友達にひやかされながら、「家を一歩出たら女が邪魔で歩けない。」とか言ってその場をかわした。
 別にその子と特別に仲良くなったとか、そういうことは何もない。
 ただ思い出した話。