サイトウキネン松本 8月23日その①
土日がやけに忙しく、特に21(日)は仕事関係のメールだけで20以上あったもんだから隙間を縫うように電話やメール対応、急ぎじゃない内容の連絡も片っ端からその場で解決させ、挙句の果てには先々のチラリとした不安も解消させたくなり自分からもアクションを起こし答えを導き出す。
23時過ぎには現状での全てが解決、朝からよく働けたと自分でも驚く。
毎日これだけ本気に行動すれば金持ちになれると思うけれど、忍耐にも限度があり体力だって追いつかないし、そんな人生に興味は無い。
私は22(月)~24(水)「サイトウキネン松本」に行く予定を立てていて、たったの3日間だけでも頭を空っぽにして音楽と対峙したかったのです。
当初の予定では、まず22日ハーモニーホールでロバート・マンを聴くつもりでしたが、マンも91歳ドクターストップで来日が果たせず演奏会そのものがキャンセルになりチケットは払い戻しになった。
演奏会予定だった空白時間は信州の山の幸に舌鼓、それもブログ友達のお陰で感謝の気持ちでいっぱいで、音楽談義は勿論のこと、いつも親切に楽しい時を演出してくださり本当にありがとうございます。
今回の松本は時折雨がくる不安定な空模様で美ヶ原やアルプスが雲に隠れていましたが、20度前後と涼しくて大変に居心地が良く、真剣に住んでみたくなるくらいで、不動産屋の前で立ち止まり家賃を確認したりと実現できないくせに夢を思い描く。
関係ないが町中が連ドラ「おひさま」と「サイトウキネン」のポスターだらけで観光客も多いみたい。
21日初日の演奏はニュースで「小澤復活のオペラ全曲指揮」と取り上げられ、ホテルのテレビを見ながら「お元気になられたみたい。明日が楽しみ、松本まで来て良かった・・」と思った。
思えば昨年はチケットを購入してから下野さんの代役発表だったけれど、開演前に小澤さんが「来年はばっちり全部指揮すると約束します。」と言葉にされ、そしてチャイコフスキー「弦楽セレナーデ」ではミューズが降臨、下野さんの武満とベルリオーズだって気合の入った内容だった。
そして当日夕方ブラック薄地のジャケットを着込み、地元では有名な「源池の井戸」で手水を使い、身も心も清めた気分で劇場に向った。
頭の中では陰湿なバルトークの音楽が鳴り響き足取り軽やかにはならないけれどこればかりは仕方が無い。
しかしこれまでの音楽愛好家人生の中でこんなにもバルトークに、しかも「青ひげ公の城」に期待する状況が生まれるとは思わなかった。
劇場に入る私。
長いエスカレータに乗る私。
ブルジョワなご婦人方が多いなと思う私。
普段は買わないパンフレットを買う私。
グッズコーナーを眺め、眠くなったら大変とワイン無料サービスを無視する私。
少し歩くと通路の中央に即席の張り紙を見つけ、なんとなく嫌な予感がする私。
そこには、「指揮者変更のお知らせ・・・小沢征爾が急病のため、代わりにピエール・ヴァレーが指揮することになりました・・・17時30分の発表・・」と書かれていた。
「えっー!」と叫びそうになり、持っていなかったけれどワイングラスを落としそうになる私。
放心状態とはああいう時に当て嵌まる言葉だなと感じたのは、身体の何処にあるのか解らないけれど魂が少しずつ外部に抜け出していくような感覚で暫くその場から動くことができなかった。
たぶん数分後思考できたのですが、最初に考えたことは「小澤さん大丈夫なのかな?」で、次に「ピエール・ヴァレーって誰だ?」(パリの生まれ。長年小澤のアシスタントしてきた人でした。)
肝心のヴァレーの演奏ですが、一般論としては普通に良い演奏なのでしょうが、個人的感想としては評価に値しないバルトークであり残念。
でも感動した人も大勢いたとは感じられた。
頭を整理し改めて記事にします。
比較してしまうのも変ですが沼尻さんの「中国の不思議な役人」は素晴らしく、金森さんの振り付け&演出はあんなもんでしょうし最初からあまり期待していなかった。
翌日は青天。
周囲の山々が美しく美ヶ原は勿論アルプスの残雪まではっきり見えた。
マエストロの回復を祈りあずさ20号新宿行き。
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中に
関係ないのに高村光太郎の「樹下のふたり」を思い出した。