サイトウキネン松本 その②

 この記事ではどんなバルトークだったのか書こうと思っていましたが気持ちが変わりました。
 というのも、25日のオペラ公演も「小沢征爾氏開演直前に指揮断念」と報道されたからで、この際言いたいことを吐き出さなくては頭がおかしくなりそうなのです。
 楽しみにしていたお客さんの気持ちを思うと、そんなことより小澤さんが一番悔しい思いをされている。
 直前の判断とは感覚的に自分で仕事をするつもりであることを意味するから、半分は働いているようなもので休息なんかになりはしない。
 昨年は何日も前に代役を発表し誰もが心の準備を作ることができたのですが、こうなってしまうと今回は少しばかり運営側に問題があるのではなかろうかと考えてしまう。
 私が行った23日は実行の責任者が休憩時間終了時にお詫びのような挨拶をし、それからオペラが始まった。
 25日も似たような状況だったと想像する。
 急病だから仕方が無いと誰もが思うけれど、昨年からの癌治療と腰の手術等があり、予見の可能なつまり想定内の出来事だったのだから更に理想的な解決策を準備しておく必要があったのではないかということ。
 何が理想なのか解らないけれど、私にだって予感が全く無かったわけではなく、チケットの発売が遅くなっただけで心配になりキャンセル代役は心の何処かで覚悟していたような気がする。
 サイトウキネンの始まりは小澤さん個人の呼びかけがきっかけだったけれど、音楽祭も20回目を迎え世界規模の社会的な責任が発生しているのですから、仮に総監督に絶対的な芸術上の権限があったとしても日本の宝であるマエストロを保護し、別の視野で管理発展させる方向付けが解決を導き出せたのではないかと感じるのです。
 音楽は芸術に他ならないが、それ以前に演奏家にとっては生きていくための商売であり、チャンスを与えたり新人育成したりするのは食べるための方法伝授で小澤さんは一生懸命それをしていた。
 あの人は神様じゃなくて人間なのですから病気にだってなるし腰痛で舞台に立てない場合もあるのだから、直にでもマエストロに休息を与える手続きをしていただき、27日のオペラと中国公演は小澤キャンセルでいいと思うのです。
 そうでもしないと大変なことになってしまう。
 「マエストロお願いですから休んでください。」
 
 関係ないかもしれないけれど、基本的に音楽界が芸大系と桐朋系に分断されている現実こそ悪しき循環でやりきれない。
 音楽愛好家も甘く見られたものであるが、それでも我々がサイトウキネンを聴こうとするのは途轍もなく優秀で刺激的で、世界的に見てもこんな団体そうはないから。
 もっと書きたいのですが、この話題お終いにいたします。
 
 肝心のバルトークについては次回。