サイトウキネン松本 その④「青ひげ公の城」

 小澤征爾氏が検査入院し中国公演を降板した。
 入院は心配ですが、今はしっかり検査し治療に専念していただくことが最も良い対応なのでしょう。
 しかしこの一年、買ったチケットが代役ばかりになるのだから嫌になってしまう。
 昨年のサイトウキネンでは、小澤→下野。
 ウィ-ンフィルでは、小澤→サロネン→ネルソンス。 小澤→サロネンウェルザー=メスト
 ウィーンフィルの時は払い戻しがあったのですから、サイトウキネンの事務方は小澤から無名の指揮者に変わりながら親切心が無いというか、常識的に見ても今回の対応はおかしい。
 以上は小澤さん関係ですが、来月のバイエルン国立歌劇場公演、ワグナー「ローエングリン」のキャスト変更。
 ローエングリン役、ヨナス・カウフマンヨハン・ボータ・・・これにはがっかりしました。
 声的にはたいした違いがないのかもしれないけれど、カウフマンの容姿で白鳥の騎士を想像していただけに思考の軌道修正に時間がかかりそうである。
 カウフマンはメトの時にドン・カルロ役を放射線の件でパスしたから、今回はどうするのかなと思っていた。
 しかし発表によれば胸の手術をするというのですから大丈夫なのか心配になった。
 これでグルヴェローバにまで何かがあったら暴れてやる。
 ところが嬉しい代役もあって、テルラムント役はエフゲニー・ニキーチン→ファルク・シュトルックマン、この変更には喜んでしまった。
 久しぶりに世界最高のバス・バリトンが聴けるのです。
 しかし毎月のように色々ある。
 @それで本題の「青ひげ公の城」ですが、実に悲しい時間だった。
 ピエール・ヴァレーの指揮は丁寧で神経の細やかな配慮の行き届いた演奏だったと思うし、急な代役にも関わらずあれだけの技量が示せたのは素晴らしいと感じた。
 しかし、全く感動しなかったのだから自分が何で劇場にいるのか解らなくなってしまった程で、これまでに観たオペラの中で確実に最悪の部類に入るだろう。
 バルトークの持つ民族的なリズム旋律や作品のおどろおどろしさ等は完全に否定しされ、ライトな印象の音楽だけが簡単に築かれていくのだから私は本当にがっかりした。
 よくもあれだけつまらない演奏ができるものだと関心するくらい重みが無い。
 ダッチ珈琲とインスタント珈琲か、葉巻と1㍉の煙草くらい違うような気がする。
 民族的な部分は避けて通れないバルトークだけれど、それでも論理的に破綻が生じなければ別に強調する必要も無いだろうし、もしかしたら小澤征爾さんなんかも同じようなスタイルかもしれない。
 こればかりは今回マエストロ小澤をラッキーにも聴けた人でなければ説明できないから、新聞や雑誌で記事になったら読んでみたい。
 ショルティがシルビア・シャシュと録音したものが如何に凄いものか気がつかされる。
 そこに金森さんの演出が加わるのだけれど、これがまた全く面白くない。
 配慮に欠けるのですが半分は思い出したくもないので演出については説明しないことにします。
 ただ先に起こる事が判ってしまう演出とだけ記したい。
 歌手はほとんど動かずにいるから歌いやすいかもしれない。
 ゲルネは素晴らしかったのですが、特殊なメイクや鬘も無しで衣装以外はいつものゲルネのままだから青ひげ公爵が良い人に見えてしまう。
 声そのものにも人の良さがでてしまうから素晴らしい歌唱なのに、この役柄が合っていないように感じられる。
 それに対しツィトコーワは概ね良かったのですが、言葉が明瞭ではなく特に高音の時に叫ぶようにして音を取るから些か聴きづらい。
 そういえばソプラノではなくメゾだったと思い出したが、本人にしても厳しいのかもしれない。
 昨年末の新国でのブランゲーネが懐かく思い出された。
 随分適当な感想になってしまいましたが、以上です。