バイエルン国立歌劇場「ロベルト・デヴェリュー」感想
バイエルン国立歌劇場日本公演初日。
ドニゼッティ歌劇「ロベルト・デヴェリュー」は以下のキャスト
エリザベッタ エディタ・グルベローヴァ ノッティンガム公爵 デヴィット・チェッコーニ
サラ ソニア・ガナッシ ロベルト・デヴェリュー アレクセイ・ドルゴフ
ロベルトの召使 ニコライ・ボルチェフ
指揮 フリードリッヒ・ハイダー 演出 クリストフ・ロイ
英国国歌のフレーズが登場する序曲に続き、第1幕と第2幕は演出の都合で休憩時間は無く、その後30分の休憩時間を挿み第3幕の上演。
どうしてもグルベローヴァの存在が偉大で、出演すると分かっていても入口でメンバー表を眺め本人の名前を確認して漸く安堵できたのは、今年はあまりに衝撃的な出来事が日本で起きたから、そいつが原因で来日しない歌手やスタッフを否定することもできず、それでも可能な限り有意義でバイエルンの名に恥じない演奏をしてもらいたいと願っていた。
このオペラハウスには特別な思い入れがあって、サヴァリッシュ時代の「マイスタージンガー」「アラベラ」「コシ」「影の無い女」「オランダ人」他を聴いてしまった過去が決定的で、恐らく名演だったからその呪縛からどうしても逃れられないで生きてきてしまった。
ミュンヘンまで「リング」を聴きに行ったけれど、何もバイエルンに限ったことでもないのは、ウィーン、ドレスデン、ケルン、ボン、アムステルダム等彼方此方のオペラハウスに出かけたと思い出すし、それに日本に来たオペラは数え切れないくらい鑑賞してきた。
今思えばオペラを目的に良く働けたなと驚く。
ただメータの時代は気持ちがバイエルンから離れた。理由はわからない。何故か空白である。
それでもオペラ完全空白にならなかったのはバレンボイム&ベルリン国立が持ってきたのは全部聴いたと思うし、(「トリスタン」やシェロー演出の「ヴォツェック」等は特に新鮮な記憶。)今ではカードも更新しないでつまらないから行くのを止めてしまったけれど新国では色んなオペラを幾つも観たのですから、恐らく最初の時代のような感動を探していたのでしょう。
しかしいつからか、だんだん何を聴いても感動しないようになってきて、自分では聴きすぎたからきっと心の歯車が狂ったのだろうと思っていたけれど、カフェに入り浸り本ばかり読むようになり、適当にオーディオに拘ってみたり、でも挙句の果てには仕事以外で街に出ず人と会話もしなくなった。
珈琲と本と時々クラシック音楽があれば生きていけるし、結論として街は神経を磨耗させると考えていた。
どえらく話が脱線したが、私は今回のグルベローヴァに本当に驚いた。
なんであんなに歌えるのだろうか。
「これがオペラだ!」
やっぱり何か勘違いしていたみたいで、世の中には多くはないけれど一流の人達がいて、感動を発信しているのですから聴き手は注意深く良し悪しを見極めて反応しなければいけない。
年齢からくる衰えはきっとグルベロ-ヴァ自身感じていて、コンディションに合わせて役柄をチョイスして舞台に立ち続けているのでしょうが、普通の人間がどんなに努力しても到達できない領域にまでいっちゃったのを生で観てしまったのだから、どうしたらいいのやら混乱したが、気がついたら私は立って拍手していた。
あそこまで大騒ぎになっての長いカーテンコールは久しぶりで、誰もが感動しているのが解った。
代役登場の2人は頑張っていたが、ノッティンガム公爵はまあまあ。
舞台姿は「ドン・ジョバンニ」の石像のよう。
タイトルロールのドルゴフは歌い出したとたん独りだけ極端にスラブ的な発声だから「オネーギン」のレンスキーや「マクベス夫人」の酔っ払い「ホヴァンシチーナ」の預言者などを演じさせたら面白いだろうなと感じた。
「ヴォツェック」の大尉、「指輪」のローゲやミーメなんか歌うなら楽しいだろうなと、勝手気ままに考えるけれど、求められてその気になり彗星の如く消え去ったアライサのようにローエングリンになってしまうかもしれない。
サラ役のガナッシは素晴らしい歌手で大きな喝采を受けていた。
愛に対し盲目で献身的な役柄ゆえ、メゾで少し膨らんでいるけれどリュー(トゥーランドット)のように繊細。
しかしサイン会で接近したら、ただのアメリカン・ヤンキーだったからショックだった。
化粧に惚れて、すっぴんでびっくりみたいなパターンである。
しかしどんなに素晴らしくてもグルベローヴァを前にしては単なる脇役にすぎない。
面白かったのはロイの演出。
楽しむ為に、あえてミュンヘン収録のDVDは観ないでいた。
第1幕では「アメリカ大統領執務室」のように見えて、女性大統領が側近や大臣達とやり取りしている光景。
第2幕「ホワイトハウスのゲストルーム」
第3幕「民主主義の裏社会」なんとなくフリーメイソンの存在を思い出した。
権力者であり君主は女性であっても男性原理が働いている印象。
帰宅しプログラムを読んでいたら、
「エリザベス1世をめぐる物語の舞台を架空の現代の国へ移すことにしました。そこは近代的な国家であり、民主主義的な制度を持つとはいえ、まだ死刑制度が存続している国です。」という演出家の言葉を見つけ出し、大まかに当たっているのかな。
イギリスを舞台にした作品とドニゼッティの音楽の共通性は徹底した様式美にあると感じるのですが、ロイの演出は人の配置などバランスが素晴らしく、主役クラス歌手の演技にも無駄がなく所作が美しい。
サイン貰った時に耳に入ったただの噂ですが・・・