ローエングリン演出感想補足

 バイエルン・オペラ公演の「ローエングリン」を鑑賞した人の書き込みが多くて幾つか読んでみたのですが、主役クラスの歌手については概ね好意的な内容であるものの、中にはボータでは物足りないとかマイヤーは衰え聴くに耐えない等の悪意に満ちた感想もあったことが残念でならない。(大半の人は「ボータに感動した」とある。)
 特にボータへの歌唱批判は、それは完全に聴き手の勇み足であり芸術に対しての冒涜であると感じ、本人の勝手だけれどできれば今後ホールに来ないでいただきたい。
 人間は物事を直に忘却してしまうのですが、死亡したリチートラは仕方が無いけれど、たった1ヶ月の間にカウフマン、フローレス、そして新国「サロメ」に出演予定だったフランツ等の世界的なテナーが全滅した事実を踏まえ、ボータのローエングリンにより音楽ファンは救済されたと感謝の気持ちを持つべきである。
 しかもあれだけ高水準のローエングリンが日本で歌われたのは「ルネ・コロ以来だった」と断言したい。
 不満に感じた彼等はいったいワグナーの何を聴いているのだろうと怒り心頭なのだが、そういえば指揮者ケント・ナガノを批判しているのは私だけかもしれないと気がつき、もしかしたら自分が変なのかなと少し不安にもなった。
 理想的なのは、3日間全部劇場に行って聴きこんでの判断かもしれません。
 リチャード・ジョーンズの演出については大半の人達がNGのようで気の毒なくらいに叩かれているが、今の時代に少女漫画みたいなローエングリンなんか存在していないでしょうし、思考の必要のない舞台なんか観たいとも思わないのは、刺激が無ければオペラではないからである。
 @以下先日書き忘れた演出についての感想を補足したい。
 
 ① 第1幕での[エルザ火刑未遂]の問題で、これはかなりインパクトのある光景だった。
 テルラムントからの弟殺し告発を受けハインリッヒ王は裁判を開き、エルザが問責に対し曖昧な言動を取るがため、その場で火刑の手続きが始まりエルザは柱に縛り付けられ周囲にガソリンが撒かれる。
 勿論ワグナーの台本に火あぶりは出てこないのですが観客には思考が要求され、だからオペラは面白い。
 エルザの姿を見ていて誰もが思い描いたのは、火刑台のジャンヌ・ダルクではないだろうか。
 ジャンヌ・ダルクユリウス暦1412年~1431年)は今でこそカトリック教会の聖人として祈りの対象であるから少しは救われているのかもしれないけれど、当時の火あぶりは宗教的な異端者や魔女狩り等における最も屈辱的な刑罰である。
 つまり死への苦しみもさることながら肉体が灰になることで最後の審判に赴くことができないと考えられていたことに由来するが、そんなことから想像すると、ジョーンズ演出では「王の告発による裁きは神によるもの」という自然な考えからエルザ火刑なのだろう。因みにハインリッヒ1世は実在の人物(876年~936年)ザクセンドイツ王国の初代国王であり国家の領土拡張に大きな成果を残し、恐らく誰からも尊敬されていた。
 「ローエングリン」1850年8月28日にヴァイマール宮廷劇場でリストの指揮で初演されたそうだが、ワグナーの行動を調べていたら奇妙な偶然に気がつかされた。
 私が気になっていたのは、初演とか作品が完成した時期等に最初から関心がなくて、ワグナーがいったいどのような時に夢物語「ローエングリン」を想起したか?であって、つまりワグナー本人はローエングリンにはなれないけれど、白鳥の騎士を創造したいと最も強く思い願ったのはモチーフに出会った時だと感じるのです。
 ネットというのは便利なもんで、調べていたら事情が分かりました。
 1843年にヨハン・ヴェルヘルム・ヴォルフなる人物が編纂した「オランダ伝説集」が出版されていて、その中のコンラート・フォン・ヴュルツブルク「白鳥にされた子供達の物語」をワグナーが実際に読み、驚き感情を揺さぶられ、数年後に完成する作品モチーフに繋がった。それがそもそもの始まりだそうです。
 それで、単なる偶然で都市伝説的な馬鹿な妄想と思われてもいいのですが、上記ジャンヌ・ダルクユリウス暦生年没年を見ていただきたい。
 ジャンヌ・ダルクの人生1412年~1431年と、ワグナーのローエングリン着想の1843年を眺めていて気がついたのはジャンヌの下3桁を両方プラスするとワグナー・・・
 つまり 412+431=843 になった。
 だからどうした?かもしれませんが、私はこういう偶然を大切にしたいし、果たしてジョーンズが気がついて意識して火刑の演出を加えたのか本人に確認するしかないのですが、でもそうだったら凄い発見かな。
 
 ②第3幕最後のシーンで白鳥になっていたゴットフリート王子が帰還するところ。
 たいした発見でもないのですが、ゴットフリートの衣装が青いTシャツや第1幕エルザの労働者的な物ではない、テルラムントとオルトルートに近い黒く高貴な印象の衣装であったということ。
 今後の指導者が市民の立場になれないのであれば、ブラバントはカタストロフを迎えてしまうと誰もが感じ、緞帳が下りる直前にブルーカラーの民衆が絶望し己にピストルを向ける意味が証明されると感じる。(ただ、あの場面は如何にも陳腐で短絡的な光景に思える。)
 オルトルートは本来ゴットフリートの姿を見て倒れるが、この舞台では生き残り国王が使用していた椅子に自ら座り、弟と再開し抱擁を交わすエルザを、生命力溢れる強かな視線で見つめる。
 既に次世代の権力はオルトルートが手にしたようなもの。
 これで自分なりに説明がついた印象。
 そういえば初演当時にエルザを死なせる物語のあり方に異議を唱える人が多くいたそうである。
 それに対しワグナーはギリシア神話「セレメとゼウス」を引き合いに出し語った。
 ・・・人間の女セレメは恋人ゼウスに対して、「神としての真の姿を見たい」と願い、その願いを叶えたゼウスの雷に打たれて死ぬのだ・・・
 
 さっきまでメトロポリタン1986年「ローエングリン」映像を観ていたのですが、やっぱりP・ホフマンはかっこいい白鳥の騎士だったのだなと思いました。
 レバインの指揮なら歌手も歌いやすいでしょうし、オーケストラも上手いから満足してしまった。
 バイエルン金管なんかミスだらけで、合唱とオケが何度かずれたりしていたな。
 それでもメトが芸術的な舞台なのか疑問は残るし、この消化不良はワグナーが商業主義に巻き込まれてしまった現実に対しての不満なのかもしれない。
 シェローがその昔「産業革命は人間を堕落させる」と言葉にしたことが思い出された。