音楽喫茶とエテルナのレコード

 昨日、神保町の音楽喫茶に初めて入ってみました。
 ブログ仲間が最近ちらほら潜入している坂の下突き当りの苦い珈琲が好ましいあのお店。
 印象としては普通のカフェのイメージなのですが、正面に大きなオーディオシステムが鎮座しておりまして、スピーカーの一番近くに座っている男性客が店主と音楽について話し込んでいて、私は2~3分無視されたので躊躇し、少しだけカチンときたので店を出てやろうかなと思ったら、私の存在が漸く視界に入ったみたいで、「あー、どうぞ。」と席に座るように促された。
 ガラガラの店内でその時は音楽も鳴っていなかったのでどうして気が付かないのだろうと思っていましたが、元々そういう人みたいで悪意があるわけでもないのだなと直ぐに解りました。
 暫くしてお水とメニューを持ってきてくれましたが、そのお客さんとの雑談を優先させてその後のアクションだから珈琲が出てくるまで随分時間が掛かったように思いました。
 珈琲は苦めの焙煎だけれど美味しかった。
 もう一人女性のお客さんがいらして、店長と馴染みたいで話し始め、会話が終了してから静かにCDを取出しプレイヤーのスイッチをオンにした。
 その段階でこのお店はリクエストはできない?常連にならなければ頼みづらい感じだな。
 CDはショパンの名曲集で、数曲聴いていて音と間の取り方からルービンシュタインと思いましたが、間違っていたら気持ち悪いので「誰の演奏ですか?」と質問したら・・・「ルービンシュタインです。」と感情の無い小さな声で答えた。
 お金の係ったオーディオだなと観察しながら、音に対しての素直な感想は文句のつけようのない美しさですが、それ以上でもそれ以下でもないのは、私には綺麗過ぎる音なのかもしれない。
 ルビンシュタインのタッチの力強さが美しさに覆われているとは明瞭に感じるのだけれど、寒い日に震えながら録音したのか、真夏に汗を流しながら演奏したのか、人間臭さが見えてこない。
 ただ乾燥地帯の録音だとは感じられた。
 奇妙な例えですが、小説ならフォークナーやガルシア・マルケスを読んでいるみたいで大量に水が飲みたくなる印象。
 最近自分がオーディオについて考えないで生きていて、こんな綺麗なショパンを聴くと、自室のシステムが美しい音を鳴らさない作りなのだと痛感。
 これは幻滅ではなく逆にちょっとだけ誇らしく思えたのは良い音の定義が最初から違うのかもしれないということ。
 私のぼろいシステムは構築するにあたり川端康成みたいな日本的潤いに狙いを定めたのだけれど、現実はカフカ的でしかも「変身」のような奇妙で不可解な音なのです。
 気に入っているのだけれど、分裂気質でしかも躁と鬱を繰り返す性格が投影されたような音。
 音楽好きな人が私のシステムを聴いたらどんな感想を持たれるのかな?
 帰りにディスクユニオンに寄ったら、東ドイツ国営レーベルだったエテルナのレコードが纏まった数入荷してあり興味深くて一枚ずつチェック。
 1万円を超えるレコードも紛れていて、「やっぱり高いな。」
 しかし、出会いの一枚を発見。
 昔カセットテープに録音してあって聴いたことある録音ですが、ルネ・コロのワグナーアリア集スイットナー指揮ベルリン国立のもので、なんと700円。
 まだ聴いていないのですが、これから仕事に行くので明日でも聴いてみます。