素晴らしい!ジャンニ・ライモンディ「妙なる調和」

 
 プッチーニ「トスカ」第1幕からカヴァラドッシの「妙なる調和」ジャンニ・ライモンディである。
 最近イタリアオペラの気分ではなくなってしまいテノール馬鹿シリーズが中断していた。
 ジャンニ・ライモンディはリリコに近いテノールで、カラヤンが「ラ・ボエーム」で起用した印象が強く馬鹿から程遠い存在に感じていたのですが、ライヴ音源を聴いてみるとパワフルな歌唱に圧倒される。
 つまり愛すべきテノール馬鹿かもしれないと感じ始めたのです。
 馬鹿の基準として突き抜けた歌は勿論のこと、商業主義に乗っかっていたら駄目と勝手に思っていて、考えてみたらジャンニは録音も少なく、カラヤンのビデオだけで存在意義を確認されては気の毒に感じてきたのです。
 事実現場叩き上げでスカラ座を中心に活躍してきた。
 12月のオープニングでは何度も登場し、スカラだけで合計200回以上も歌っているのだから、出る杭を打ちまくるミラノの聴衆からも愛されていたのだと思われる。
 それは50年代、マリア・カラスの有名なあの「椿姫」でアルフレードに抜擢されたことに始まる。
 ディ・ステファーノが数回で役を降りてしまい途中からジャンニが救世主の如く登場しその後の公演を支えた。
 ディ・ステファーノの降板は色々言われていますが、過剰な表現が原因と感じている人が多いようで、確かにCDを聴いてみるとそんな気がしなくもないけれど、あれだけ歌いながらブーイングしまくるミラノのお客は随分勝手だなと思えなくもない。
 先日読んだ小澤征爾村上春樹の対談にも、スカラ座の「トスカ」で小澤がもの凄いブーイングの洗礼を受けた話が出てきて、その時小澤の母上が劇場で聴いていたらしくブーとブラボーと思い喜んだという微笑ましき勘違いが紹介されていました。
 小澤さんの場合は3回目の公演くらいからブーイングが減りだして最後には無くなっていたそうだから、演奏が気に入らないから否定するとは異なる次元で騒ぎが起こる場合も多いのかもしれない。
 アラーニャもフレーニもリッチャレッリもそうだったと私は思う。
 ジャン二・ライモンディの場合は50年代~60年代に、デル・モナココレルリとディ・ステファーノが全盛期だったし、70年代からはパヴァロッティとかドミンゴが注目された現実があったのですから、レコーディングに恵まれなかったのだと感じる。
 会社も指揮者も売れる歌手と共演したいのでしょうし、レコードはその方が売れるのだから、悪しき資本主義の犠牲になったと考えたら大袈裟でしょうか。
 でも、動画を見ればジャンニが素晴らしいと誰もが理解するでしょうし、スカラに限ったことではなくオペラハウスは職人歌手に支えられ人々の記憶に残り、豊かな恵みとなるのです。
 それが「妙なる調和」である。