「続・大人の流儀」 伊集院静

 伊集院静さん初の推理小説が発売されたとラーメン屋に置いてあった毎日新聞で知った。
 新聞を読まなくなって随分時間が経過したのだけれど、本来新聞は読まなければ馬鹿になると子供のころから思い込んでいて、これは両親からのすり込みみたいなもんで5年位前まで朝日と日経は必ず読んでいた。
 ネットなんか見ていると情報が早いから新聞をとらない人が増えたのだと感じるが、私の場合はちょいと事情が異なる。
 新聞屋のオヤジと喧嘩したことが理由である。
 当時を振り返るとどう考えても代金を滞納していた自分に責任があって、でもお金が無かった訳ではなく支払いをしなければと財布を探していた時にくだらない因縁をつけられたことが原因。
 そいつは店長で、人間的に問題を抱えたようなタイプの男で殴ってやろうかと思った。
 その後、店長じゃない年配の労働者が「新聞2ヵ月でいいからお願いできませんか?」なんてせこい営業でやってくるのだけれど、「もう新聞は読まない。」とか「新聞は死んだ。」とか適当にあしらってきた。
 時には宗教の勧誘の場合もあって「聖書のお話を・・」と話しながら何故か子供と一緒に手をつないでいたりする。 そのたびに「私は禅宗なのです。」とか「宗教は死んだ。」とか言いながら断っていたのだけれど、一回だけ料理をしている時に訪ねてきた女性に右手に包丁持ったまま「私はニヒリストなのです。」と答えたことがある。
 そしたら驚いた様子で「えっ、二ヒって?」と聞き返してきたから、「ドイツ語でいうニッヒ、全てを否定するという意味なのです。」とツルゲーネフをそのまんま引用したら、びびって帰ってしまった。
 それでラーメンを食べて新聞読んで、本屋に寄って「星月夜」というタイトルの新作を購入しようとしたら、隣に「続・大人の流儀」も平積みになっていて、2冊で2,500円くらいだから躊躇したのだけれど買った。
 ついでに「音楽の友」1月号立ち読みしたら、11月のラトル&ベルリンフィルが高評価だから安心した。
 伊集院先生はどうして急に仕事量が増えたのだろう、なんて考えながら帰宅して気軽に読めそうな「続・大人の流儀」から開いてみた。面白くて一気に読んでしまった。
 驚いたのが立川談志さんの事が書かれた章があって、今売られているのが初版ですから当然のことながら談志師匠が亡くなる前に書いているのだけれど、文士が書き出版社経由で本屋の店頭に並ぶまでには印刷屋さんや問屋さんとかあって、それから運送屋さんがいて、つまり沢山の流通手続きがあるから死んだ後に読者は買うことになるし、でも買っただけでは駄目で読まれて初めて本になる。
 たぶん亡くなったばかりで生々しさが残っているからだと思うけれど、伊集院先生が談志師匠について書き、そいつが家にきて何故か私が読んでみるまでの空白の時間が実に愛おしく感じられた。
 「立川談志氏死去」報道は、確かパソコンだか携帯電話のニュースで知ったのだけれど、あの時間にこの本はまだ製作過程のどこかにいて形状を成していなかったかもしれない。
 その文章は履物への拘りが究極の御洒落という内容だった。
 年末年始に北海道に行くので、雪対応の靴を購入したばかりなのだけれど、これは御洒落とかではなくて実用性を重視しただけだが、少し気になりレザーにワックスで磨いてみた。
 それから次の日に香水も買った。
 ブランドは内緒。