頂だいしたCDを3枚聴きました。

 親切な飲み仲間がCDをプレゼントしてくださいました。
 3人から1枚ずつの合計3枚。
 実情としては必要のなくなったCD交換会なので、誰かが言っていましたがエコな企画。
 私は在庫処分の気分から沢山出品しましたが、今思えばなんであんなもの買ったのか理解できないディスクばかりで差し上げたことで本当に喜んで頂けたのか不安でもあるのです。
 コクトーの本に「ラディゲが死ぬ前に身辺整理を始めた」と書いてありましたが、もう少し生きていたいので本格的なお片付けはだいぶ先になると思います。
 今回手元にやってきた3枚のCDは、ようやく音楽を聴く気分にさせてくれたから忘れがたい存在になるような気がいたします。
 ☆1枚目
 Lさんから頂戴した。
 Airs Anglois 「エール・アングロワ」というタイトルの21曲からなるリコーダー曲集。
 リコーダーが奥田直美さん、伴奏を司るアーチリュートが佐野健二さん。
 解説書によれば1702年から1706年の間にアムステルダムで出版されたリコーダー曲集で、4巻に合計174の作品が収められているらしい。
 それが現在ブリュッセル王立音楽院図書館所蔵らしくて、174曲のうち143曲に作曲家の名前が表記されているそうで、G・ビンハム(75曲)、G・フィンガー(42曲)、J・ペイシブル(5曲)、H・パーセル(4曲)、G・ケラー(2曲)、A・パーチャム、N・マッテイス、D・パーセル等が名を連ねているのだが、私はH・パーセルの名前しか知らない。
 つまり、どう考えてもこれまでの自分では絶対に購入しない世界なのですが、これがなかなか素晴らしい音楽で驚かされた。
 タイトルのAirsエール(エア)はイタリア語のアリアと同じ語源で、収録されている曲の全てが美しいのは容易く国境を越えてしまうようなイギリス音楽特有の旋律なのだろうか。
 Lさんが、「この楽譜が20曲目G・フィンガーのA Groundグラウンドです。」と、なんで楽譜を持ってきたのか謎なのですが、結果あってよかったと関心したのは、じっくり聴きながら楽譜を見るとリコーダーがいかに超絶技巧なのかに気がつかされた。
 超絶技巧といっても別にリストやパガニーニじゃなくて、小学生の時に嫌々ながら吹かされた縦笛だってリコーダーだと思えばの話である。
 しかもadagio3拍子のその先に、約300年前の農民や商人の息遣いや埃っぽい生活臭のようなものが感じられてくるのだから実に面白い。
 楽譜が読めるとか読めないとかあんまり関係ないような気持ちになるのは、音楽を聴きながら♪を追うくらい誰でもできることですし、リコーダーなのだから極めて解りやすいし、朗読に対して詩集があると考えればいい。
 このデイスクは自室のスピーカーと相性がいいような気がいたします。
 
 ☆2枚目
 薩摩のJさんから頂戴した。
 ドヴォルザークのチェロ協奏曲と幾つかの小品が収録されている巨匠シュタルケルの演奏。
 タワーレコードなんかでもよく見かけるEMIの有名な1956年の録音。
 何故かこれまでシュタルケルを聴かないまま生きてきたのですが、彼がCDを鞄から出した瞬間に思わず「それ欲しい!」と言ったら、恐縮した表情で「あの、これブックオフで買ったんですが・・」
 つまり彼はブックオフからシュタルケルを救出したのか。
 解説書に「ヤーノシュ・シュタルケル(1924~)はまだ現役のチェリストです。最近でも日本公演を行って・・・」なんて書かれていていつの話だと思ってしまったが、調べてみたらまだ現役だったから私の大いなる勘違いだった。
 チャンスがあれば大物は実演で聴きたいもので、でも今年87歳だから難しいのだろうか。
 つい最近レオンハルトが亡くなりとても残念で、昨年東京で演奏していたからなお更その気持ちが強くて、でも考えても仕方がない。レオンハルトより目先の数万円の仕事を優先させた自分の責任。
 シュタルケルの演奏は上品だ。
 卓越した演奏で世界が認めたと何かの本で読んだ記憶があるのですが、とにかく音色が強く美しいから技術が気にならない。
 例えばバイオリンのレーピンを最初に聴いたときは技巧ばかり見せ付けられた気分だったけれど、いつのまにか音楽が先にやってくるように感じられてきて、最近ではどうにかランランもそんな気持ちで聴けるようになってきたかな。まだ顔芸がしんどいけれど。
 1924年生まれのシュタルケル1956年の録音ということは31歳か32歳のドヴォルザーク演奏だから、いつの時代に確立した世界なのか、ただただ素晴らしく鳥肌が立つ瞬間は一度や二度ではない。
 チェロの音色が、まだ青い麦畑が風に靡いている様子を丘の上から見下ろしたような清々しさ、なんて表現したらとても詩人になれないけれど、この人はハンガリーの出身なのに不思議なもので思い描く情景は限りなく日本的な風土に思えた。
 母国の大気の湿度のような感覚なのは、遠足の日に何時もより少し早く起きた朝の靄といったらご理解いただけるでしょうか。
 小品はジェラルド・ムーアのピアノ伴奏。
 無駄のないムーアのピアノ、それでいて互いの呼吸が見えてくるようでいつまでも聴いていたい。
 
 ☆3枚目
 Hさんから頂戴した。
 ショーソンの「ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲作品21」
 レジ・パスキエ(ヴァイオリン) ジャン=クロード・ぺヌティエ(ピアノ) ローラン・ドガレイユ、ジェヌヴェーヴ・シモノ(ヴァイオリン) ブリュノ・パスキエ(ヴィオラ) ロラン・ピドゥー(チェロ)
 「チェロとピアノのための小品ハ長調作品39」
 ロラン・ピドゥー(チェロ) ジャン=クロード・ぺヌティエ(ピアノ)
 完全なる未体験ゾーンのエルネスト・ショーソンである。
 ショーソンって?正確には随分前に「詩曲」をFMで録音した記憶があるのですが、どんな音楽だったのか、思えば過去に捨ててきた。
 Hさん曰く「気持ちを込めたお品。」だそうで、それで私も気持ちを込めて鑑賞しなければならないと覚悟した。 
 実はこれまでフランス音楽にいい思い出があんまりなくて、特にドビュッシーを聴くと吐気がして、印象派の絵画を観ると破きたくなる衝動を覚えていた。
 しかし、大丈夫だったというか、素晴らしい音楽だと思ってしまった。
 それでこの曲知っている感じで、何かに似ているなと考えたら、「ああ、フランクのヴァイオリンソナタだ!」と気がついた。
 後から解説を読んでみると、やはり「ショーソンの師はセザール・フランク」と記されていた。(大学では主にマスネに師事した。)
 協奏曲という不可解な名の六重奏曲は1891年、つまりフランクが他界した翌年の作品で、ヴァイオリンの名手ウジェーヌ・イザイに献呈され1894年3月ブリュッセルで彼の手により初演された。(フランクのソナタもイザイのために書かれた作品。)
 師匠の影響受けまくりで実に面白い。
 熱に魘されたようなフランク節が行ったり来たりしているみたいで少しばかり恐ろしい音楽に感じられる。
 ルノアールの紹介で女性と出会い、新婚旅行を兼ねバイロイトで「パルジファル」鑑賞。
 奇妙な旋律の循環はワグナーの影響かもしれない。
 タイムマシンがあれば19世紀末パリか?20世紀のハワイか?私はパリを選びたい。
 現実には、上下水道完備されず街は悪臭に溢れ、ガス灯の煤は黒く街を汚し、無造作にゴミは彼方此方に廃棄され、腐敗から道路は泥濘、セーヌは飲料と汚物廃棄が一緒。
 香水が進化する理由も解る。
 それでも享楽と退廃が時代の魅力。
 ショーソンの音楽には憂愁と耽美が融合した濃厚な力がある。
 終楽章の最後に第1楽章の第1主題がリフレインされるのはフランクの手法と同じだけれど意識が高揚する。
 1899年6月10日自転車で事故、頭蓋骨骨折で即死状態。享年44歳。
 他の作品も聴いてみたいです。