G・クラーク 強烈な脇役、そのぶっ壊れた個性
お気に入りの歌手グラハム・クラークである。
この人は脇役にしておくのが勿体ないくらい突き抜けた声と演技力を持っている。
実演ではバレンボイム&ベルリン国立オペラがハリー・クプファー演出でワグナー「指輪」を上演した時のローゲとミーメ。それと同じ団体でパトリス・シェロー演出のアルバン・ベルク「ヴォツェク」の大尉役。それから小澤塾で「ヘンゼルとグレーテル」の魔女役は記憶に新しいところ。
どの舞台でも主役ではないけれど、カーテンコールでは毎回一番大きな喝采が彼に送られていた。
ウォータンのトムリンソンやジークフリートのフランツよりブラボーが飛び交ったのですから、そうとうな存在感である。
それから数年後に動画も発売されて漸く声と容姿が一緒になって、そのころになれば沢山聴きに行くようになっていたから、残念ながらクラークはキャラクターテノールでこそ実力が発揮できる歌手なのだと認識を深めた。
なにもオペラに限ったことではなく、物事にはバランスが存在する。
クラークの動画はラッキーな事に沢山DVDになっている。
指揮者にしても演出家にしても、これだけ個性的な人ですから出演してもらいたい気持ちも理解ができる。
しかし、レコーディング等をするタイプの歌手ではなく典型的な舞台人だ。
DVDを持っているのですが、これ誰の演出だったかな?
いくらクラークでも、ここまで忙しくさせる必要があるのか疑問である。
私が神経質で、もしかしたら気のせいかもしれませんが、資本主義ブルジョア気質の生活者が底辺の人間を見下しているように感じられてくるから嫌いだ。
地下から引きずり出された死体のように、演出家自ら泥に塗れて本質と戦ってもらいたい。
ぶっ壊れた個性が過度な演技を要求することで壊れるような気がしてしまう。
クラークは繊細な舞台人だと私は感じている。
ウォッカは1本でいい。