レコード・3 ジェームス・キング アリア集

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 たいしたコレクションでもありませんが、特徴的なレコードを少しずつ紹介していきたいと思います。
 高額な買物はしたくてもできない生活水準なので、安いものしか所有していないけれど、レコードを購入するときって予め「あのレコードを買いに行こう。」とは考えていなくて、だいたい中古店の廉価コーナーを漁りながら、その時のコンディションや波長の合うものを探していることが多い。
 だから前の記事で紹介したベーレンスやプラハ四重奏団なんかは、大袈裟な表現をするなら「出会い」に近い感情があって、つまり「買ったか、買わなかったか」で、心の有様がどこかで変化してしまう不安を覚えるくらいですから、既に人生の一部のような気がする。
 しかもプラハ四重奏団は初めて入ったお店で、偶然なのに有り難いのは、聴くたびに心が洗われるような癒しを獲得していると思うし、純粋にモーツァルトがやってくる気がする。
 具体的には、爽やかな曲なのに、聴いている自分が仕事で悩んだり、くだらない出来事なのに暇だと物事を悪く悪く考えてしまう希望も見えない混沌にあっても、いつも同じように微かに湿度を含んだ心地良いモーツァルトが体内を流れ大地に侵食していくような気分。(そんなのが100円でサイン入りのオマケ付きだった。)
 でも現実、「出会い」は少ない。
 驚くほど少ない。
 最初は素晴らしいと感じても後から錯覚だったと気がつくことも多い。
 コンサートの時は比較対象の無い絶対的な価値観が目の前に存在しているから、ピュアな心でありたいと願いながら、実際には根源的で血肉を含む生理的な情報に包まれているでしょうし、お洒落だな、だったり、或いはがさつに感じたり、時に覚醒したり、眠ったり、眠ることもできなかったりする。
 
 今日のレコードはジェームス・キングのオペラアリア集(1967年デッカ)である。
 SIDE 1 ウエーバー「魔弾の射手」 ベートーヴェンフィデリオ」 ワグナー「リエンチ」
 それぞれの有名なシーンが録音されている。
 VIENNA OPERA ORCHESTRA  DIETFRIED BERNET(CON)
 J・キングは強く太い正統的なドイツテナーの声質でダンディ。
 個人的にその響きは限りなくヒューマンな世界に導かれ、ワグナーなら人間ジークムントが似つかわしいが、ローエングリンパルジファルとは異なる体質だと勝手に思っていた。
 レコードを最初に発見したのは5年前、横浜関内のディスクユニオンで4000円くらいだったと憶えている。
 高いと思った私は聴きたい気持ちはあるけれど、こんなの誰も買わないだろうと判断し暫く様子を見ようと思った。
 それがある日無くなった。レコードが無くなったのではなく、恐ろしいことにクラシック音楽コーナーが消えたのである。(横浜なんてその程度の町だ。)
 今はどうなっているのか知らないけれど、あれ以来関内店には行かなくなった。
 その約1ヶ月後、仕事帰りにふらっと御茶ノ水ディスクユニオンに寄って新着コーナーを漁っていたら、J・キングのレコードが出てきた。
 理屈の伴わない直感なのですが関内にあったレコードが御茶ノ水に運ばれてきたのだと感じられたし、なによりこういう偶然は大切にしたいから、買わなければいけないと思った。
 しかも幸運なことに7~800円くらいと随分安くなっていた。
 このレコードはオペラ全曲盤でのアリアだけを寄せ集めしたものではなく、レコードの為に録音されたもの。
 それで気になるローエングリンは、「In fernen Land unnahbar euren Schritten・・遥かな国に・・」から「Mein Vater Parzival我が父パルジファル・・・・・・Lohengrin genanntローエングリンである。」有名な「遥かな国」だけではなく、続いて編曲が施されていて、「Mein lieber Schwan・・我が愛する白鳥よ・・」からエルザに指輪を贈り、「Leb Wohl! Leb Wohl!さようなら!さようなら!」まで歌われる。
 だから〈ローエングリン」だけで11分程ある。
 ワグナーの場合はアリアじゃないから判断の難しいところですが、普通は名のりをあげる箇所で終わらせ、音楽的にもその方がかっこいいのだけれど、白鳥であるゴットフリートを受け入れ、指輪を贈り、さようなら!のセンスの良さが素晴らしいと感じてしまい、J・キングは本当にワグナーが好きだったのだなと気がつかされた。
 人間的な神の声ではありますが、そういうレコードでした。