食事と記憶と神社の桜。
自転車で観光客を避けるように市内を散策し、その流れでちょいと奮発してお寿司屋さんに行ってきた。
比較的近所にあるお店で、いつも気になっていたのだけれど、これまで一度も入ったことがなかった。
別に敷居が高いわけでもないのですが、普通の食堂に入る時と異なり財布と相談しなければならないから、たかがドアを開けるのに何年も掛かってしまったということ。
カウンター席に座り、職人の技に見とれながら色々食べて、「この世の中にこんなに美味しいものがあったんだな。」なんて馬鹿みたいですが、途中から親方と雑談しながら楽しい時間だった。
今後ここに来る回数は増えそうである。
それで最後にコハダを注文しそいつを食べていたら、どうしてか解らないけれど急に「自分の最初の記憶はお寿司屋だったかもしれない。」ような気がしてきた。
でも正確には曖昧で断片的な記憶が幾つかあって、その中の一つがお寿司屋さんなのですが、カウンター席で隣に父親がいる情景。(父は私が19の時に病死した。)
最初の記憶がお寿司屋だったとしたら奇妙な話だけれど、ただ幼い日の時間軸の前後関係が狂っているだけみたいなのは、今日のようなな暖かい陽射しの中で誰か知らない数名の大人が僕を上から見ている記憶も存在していて、それはきっと乳母車に乗っている時代で、お寿司屋は歩けるようになってからの出来事だろうから2~3年後が本当だと思う。
父親とはその後の人生の中で数回一緒にお寿司屋に行っているのだけれど、あんまり酢の物が好きじゃないのか、つまみを注文しながらお酒ばかり飲んでいる印象しかない。
自分があまりお酒を飲まない体質なのでそう感じるのか、今思い返しても赤貝のひもと漬物だけで何杯も日本酒をすすめている父親がなんとなく羨ましく懐かしく思い出される。
春らしい気候の影響か、味が長期記憶を呼び覚ましたのか解りませんが、それだけの理由で忘れがたいお店になりそう。
親方の仕事は名人とかありがちな言葉で片付けたくない優しさと粋が見え隠れし、可笑しなことに涙が出そうになった。
ということで、お店の名前、今回は内緒にしたい。
親方ご夫妻はその昔、ある作家と女優のお仲人さんをされた。
お洒落なフレンチやイタリアンだけではなくてドイツ料理やトルコ料理屋まで近辺にはあるけれど、お寿司屋のカウンターは特別な場所だな。遅すぎるけれどやっと大人になれたみたい。
写真は御霊神社。満開の桜。今年の冬は長かったように感じます。