静かな日曜日、仕事無し、鶯の囀りで目覚める。

 来月21日に各地で日食が観測されるが、金環日食は珍しく1987年以来だそうである。
 その前々日神奈川県内某所でそれをサヴテーマとした小さなイベントがあって、そこでお話をしてほしいとの依頼があった。
 勿論専門的な知識なんて何も無い。それでもイベントの趣旨が別の部分にあるので、非常に珍しい現象と重ね合わせて誰にでも解りやすく印象に残る内容にしてもらいたいということ。(原稿を書かなければいけませんが、まだ気分が高揚しないから後回し。)
 
 兎に角それで急に1987年の事を思い出した。
 それは母親がテレビを見ながら「2012年の日食の時、私はいないから、空を見ながら家族を思い出して欲しい。」とか話していたということ。
 高齢出産だったし病気もしたから既に他界しているのですが、あの話が来月なんだと急に気がついてドキリとした。病気がなければ生きていてもおかしくない年齢だけれど、天体の微かな動きの中で私は勉学したり仕事したり出会いがあったり別れがあったり、何気ない行動や決断の積み重ねが日々加速しながら近づいてくる。
 これが人生か。自分もそのうち死ぬのだなと思う。
 母は東京の出身で沼津で成長。家長が宮内庁勤務の比較的裕福でインテリな家庭だったようで、幼い時代わざわざ写真館で撮影したものが残っている。入学式とか諸々記念のもの。
 以前ブログで紹介したが、沼津時代に後の日米安保問題の学生運動で死亡した東大生樺美智子さんと友情を深め、学歴はなんだか分からないけれど小学校の教員したり映画館の館長したり奇妙な生き方をしていたみたい。映画館は今でもあるのかな?下高井戸の古いところで、好きな作品ばかり配給し(コクトー、カルネ、フェリーニとか)赤字になって、仕方がないから庶民的な娯楽作品を上映して穴埋めをした。その辺りの諸事情は亡くなってから叔母から教えていただき知った。
 ただ思い返せば、私は子供のころから、「いい作品はお客が来ない。名作だけを観なさい。読売は駄目。朝日を読みなさい・・」と教育させられた。
 だから中学や高校時代に岩波文庫を読んでいたり、休日に黙って映画観に行ったりすると、「今何を読んでいるの?今日はどこに行ってきたの?」と質問され、ぶっきらぼうに「モリエール。」とか、「昨日が黒澤、今日がヴィスコンティ。」なんて答えて、「ああそう。」
 母は若い時に沼津で数人の音楽愛好家と知り合い、最初は6~7人だったがレコード鑑賞会を企画していたそうで、そのメンバーは後の凄い人ばかりで、個人的な話でもあるので名前はお一人に留めさせていただきますが、元大正大学学長の安居香山先生、そして元株○建設社長株○氏。このお二人とは晩年まで交流が続き、たまに電話があって私が出たりすると、「息子さん、クラシック聴いているんだってね。ところで諏訪内晶子さんのショスタコーヴィッチが・・」とか嬉しそうに話しかけてくるからそのまんま10分程度会話が続いて、それから母に取り次いだこともあった。
 この写真は安居先生の著書「み仏とともに」で、母の形見でもあるのですが数年ぶりに読み返している。
 タイトルを見ると感覚的に読む気持ちが削がれる感じがするけれど、内容は所謂自伝で、元々は滋賀県のご出身でご自宅は農家。幼少時に近江にご転居。小学生の時代に出家され、修行として沼津での生活へと繋がる。レコード鑑賞会の様子まで記されていてとても面白い。
 皆で街の電気屋さんに電蓄を借りに行き、レコード屋さんにレコードを借りに行き、「ありがとうございます。」と仲間全員でペコリと頭を下げたと母から聞いていたので親しみを感じられ、遥か生まれる前の私が言うのも可笑しいけれど、懐かしい気持ちになる。どうしてだろう。これが血の繋がりなのでしょうか。
 しかし、優しいレコード屋さんがあったのだな。
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 それで思い出したのですが、昨年他界された元ソニー会長の大賀典雄氏(沼津出身。芸大卒。ベルリンの音大卒。ソニー入社前まで?途中まで会社員しながら?声楽家。世界のソニーにした人。晩年は指揮者。カラヤンが亡くなる場に居合わせた人。軽井沢のホールを作った人。)も途中からレコード鑑賞会に顔を出し始めたそうで、ある日歌ったらしい。皆吃驚したそうな。そういえば大賀さんの奥様と私の叔母が仲良しで、N響とかご一緒したこともあった。どう考えても1階のセンター席だろうな。どうせ私は生涯「天井桟敷の人々」である。
 どうでもいいエピソードであるが、ある日株○社長が東京文化会館で大賀氏を見つけ、懐かしさから声をかけたら睨まれて無視をされたそうである。気の毒に傷ついたと思う。大賀氏はカラヤンとか営業に繋がる目上の人に対してはとても上手にコミュニケーションをとる才能があったそうです。以来、同窓会のような集まりの時に誰もが大賀氏の話をしなくなった。それは憎しみや人間否定からではないと母は言葉にした。ただ「哀しい人」と切り捨てた。私は判断できる立場にないし、ただソニー製品を買わず、(初代ウォークマン時代から直ぐに壊れる印象が強いから。)カラヤンも基本的に聴かない。(正確には少しCD持っている。だってコロが歌っているローエングリンマイスタージンガーカラヤンだから仕方がない。)
 お好きな人が大勢いることは知っているし勿論否定ではない。
 つまりミーのハートにフィーリング的にマッチしない所謂ハイカルチァーなアンチテーゼですから、程々に解釈いただけると幸甚です。
 軽井沢の初代芸術監督はハーディングだそうで、大賀氏から数年にわたるラヴコールがあったらしく、さすが世界の営業マンです。
 ところでサイトウキネンはどうするんだ!
 応援しているのですから、さっさと決断してもらいたいけれど、最近冷めてきた。
 
 ではこれから東京フィル聴きに行ってきます。
 先日婚礼の司会したらご祝儀を頂戴いたしまして、人の心で音楽を聴く。なんと美しき時間なのでしょう。
 「天井桟敷の人々」と「み仏とともに」
 
 
 
 
 
 
 内容は異なりますが、本の紹介なので書庫は「文学の話」とします。