ユモレスク
先日のオフ会で大量のCDを放出し大量のCDを頂戴して帰宅した。
本来は忘年会の時に「もう必要の無いCDを1枚持参しグルグル交換」なる趣旨だったのですが、僕が沢山持参したことが事の発端で、つまり何年も聴いていないCDが自室に大量にある自分の飽きっぽい性格に全て責任があるみたい。あの時はサプライズでそれぞれプレゼントしようと気楽に考えただけだったのです。しかしいつの間にか皆も便乗するかのように大量放出を考え始めたから、今回も花の無い男同士5人の飲み会とある居酒屋の一室で、全部合計したら100枚はあったかな?「これが欲しい、これ持っている・・」とか音楽欲望が飛び交っていたように感じる。
Hさんあの店良いよ。CDコンポ置いてあるし最高。
それぞれ参加者には独特の歴史がある。
それは宴の半ばP先輩の「皆さんはいつごろからクラシック聴き始めたのですか?」で知ったのですが、「小学校4年生の時です。」、「僕も同じです。」とか「幼稚園の時にピアノを習っていてバッハのメヌエットに感動した。」なんて言うから吃驚してしまった。僕は中学2年~3年生くらいだと思うのだけれど、3年生の時には完全にクラシックになっていたと思い出す。
そんな話をしていると人間の脳は面白いもので昔の記憶が蘇る。
幼稚園のお昼ご飯の時間のBGMがドヴォルザーク「ユモレスク」だったということで、勿論曲名なんか後から知ったのですが、あれが最初の感動だったかもしれない。
何気なくその事を伝えると「ああ、その感覚解ります。」と共感してくださる。これは嬉しい。
Lさんが、「ユモレスクは誰の演奏だったのですか?」・・「知っているはずないだろう!」
Nさん、「あれは原曲はピアノなのです。」・・「それは知らなかったです。」
お昼ご飯の時に聴いたものは、ピアノ伴奏でバイオリンだった。
更に記憶が蘇ったのは昨夜のこと。
母に手を引かれ家に帰るとき、父の日に描いた父親の絵を得意げに私は広げ母に見せた。
茅ヶ崎の湘南電車が走る小さな踏切の前だった。
その時に「○○ちゃんはお父さんがいないのでお祖母ちゃんの絵を描いたんだよ。」と私は言った。
その後、暫く母は黙ってしまった。
沈黙のまま歩き続け、赤信号で立ち止まった時に、「家にはお父さんがいて良かったね。」と母が言葉にした。
今思えば涙声だったように思う。
喜びとも悲しみとも何も理解できない陽射し暖かい4歳の時の話。
ただ、頭の中でユモレスクがリフレインしていた。