パソコンでラジオの話。

 NHKFMで6月に聴きに行ったP・ヤルヴィ指揮フランクフルト演奏会を放送していた。
 これはブログ友達の恵さんが教えてくれた情報で、知らないでいたので助けていただいた気持ちです。
 僕はパソコンでラジオを聴く習慣がなくて、特にFMの場合はチューナーを使用する先入観があったから、正直な話数年間聴かないまま生活してきたようなもの。というのも裏が山で電波の感度が最悪の環境だからである。
 ただモノラルにすればどうにか鳴るので、一時期は寝室で「ラジオ深夜便」を聴いていたことはあった。
 不思議なものであの番組はモノラルでノイズが時々入るくらいのほうが趣があるのは、地方のお祭の紹介があったり、どっかの大学教授が専門的なお話をされたり、かと思えば唐突にバリトンのベテランアナウンサーが、「続きまして、バックハウスの演奏するベートーヴェンの月光をお届けいたします。放送センターのある東京渋谷は雨が降っておりまして、月明かりというわけにはまいりませんが・・」とか言いながら音楽が始まって暫くすると途中なのに、「では、ニュースです。民主党野田首相は・・」なんて展開ですから、ノイズがあっていいしモノラルでもいい。
 ところが、演奏会の放送となるとノイズは無い方が好ましいから、時代遅れも相当なもんだけれど、ようやくインターネットラジオにしてみようと思ったのです。
 それで聴いてみれば大したことがないと申しますか、(手続きの問題)簡単に素晴らしい音が獲得できたのですから、さっさと始めていれば良かったと感じたほどで、一気に価値観を喪失したチューナーが気の毒な印象ですが、これも時代の流れだから仕方が無いのかもしれない。その昔ラジオの紐みたいなアンテナを工夫しながら「今夜はカラヤンの生中継だからどうにかしなければ。しかし上手く鳴らないな。」と四苦八苦していた時代が懐かしい。
 今思えば馬鹿みたいですが、カラヤンという理由だけで録音用にどこが違うのかさっぱり解らないTDKのクロームテープを買ってきて、しかも「今夜は田園と悲愴だし、老人の指揮はテンポが遅いから念のため120分テープにしよう。」までは良かったのだけれど、何回か聴いただけでテープが伸びちゃって、随分苦労しながら音楽を覚えたもんである。
 録音していた時に家の誰かがトイレの電気を点けたりすれば、ビリリとノイズまで録音されて、音楽以外の雑音まで加算され脳に入り込んでくる。更に人間の凄いところは、数回電波にのったレコード等は何所に傷が有るかまで記憶する。例えばNHK横浜放送局のレッド・ツェッぺリン「天国への階段」にはどの箇所に傷があるのか僕は知っている。
 それでパソコンラジオですが、自分は本当に無知だと感じたのは、そのまま簡単に録音できると思い込んでいたことで、調べてみるとルール上駄目らしいが、更に調べてみると無料のソフトがあったからクリックしてみたら間違って変なところ押してしまったみたいであたふたした。数分後変な部分は無事解決したけれど、「う~ん、どうしても録音できない。」
 仕方が無いから部屋のどっかにあったはずの携帯用MDプレーヤーを必死に探すこと30分。接続コードを探すこと15分。録音されていないディスクを探すこと10分。ところがプレイヤーがカタカタいって動かなくて手で叩く事数回。やっていることは完全にアナログ回帰ですが、約1時間汗をかきながらギリギリ番組開始に間に合った。それでどうにかリストとマーラーを録音した。
 率直な感想としては、「あの日の演奏はこんなもんだったかな?」で、わざわざヤルヴィにサインまで貰ってきた6月6日の興奮状態が些か恥ずかしい気がしなくもない。
 素晴らしい演奏だったことは音楽愛好家人生を掛けて保障しますが、カレーに例えるなら中村屋本店3階と、お湯で温めたレトルトくらい違うように僕には感じられた。
 不思議なのはあの日レトルト程度にしか感じられなかったアリスのピアノが素敵に聴こえるのは何故?
 
 翌日もラジオを聴いた。
 行きたかった3月津田ホール「佐々木典子ソプラノリサイタル」オールR・シュトラウス
 前半が「セレナーデ」「万霊節」など歌曲で、後半は「カプリッチョの最終場面」「薔薇の騎士の1幕から抜粋」「四つの最後の歌から、夕映えに」 完璧なプログラムである。
 日本人でマドレーヌや元帥婦人を歌える人は他にいないだろうな。
 でもビブラートこんなに激しい感じだったかな?一度気になると最後まで気になって僕の脳は修復できなくなる。二期会のオペラ聴いた時は気にならなかった。
 演奏会最大の不幸は歌曲の途中で拍手をするお客がいたことで、それだけで行かなくて良かったと思ってしまった。たぶん歌う気持ちが削がれたのではないでしょうか。
 ピアノ伴奏の人はきっと優秀で歌いやすいかもしれないけれど、シュトラウスも言葉も感じていないのか、なんとなく別の場所で呼吸しているみたい。この派閥の違いは決定的だと思った。
 アンコールの「モルゲン」普段は最初のピアノだけで感動するのに残念。
 こういうこともあるのでしょう。