フェドセーエフ&チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ10月17日

 フェドセーエフ指揮のチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ(旧モスクワ放送)の演奏会
 10月17日19時サントリーホール P席7列目14番にて鑑賞 
 
 スヴィリードフ 交響組曲「吹雪」プーシキンの物語の音楽的挿絵~
 ショスタコーヴィッチ 交響曲第10番ニ短調
 アンコール チャイコフスキー 「白鳥の湖」 スペインの踊り
 
 ドカン!とした音楽が聴きたくなり、いつだったか?発売日に一番安い席を確保すべく、気合いを入れてアクセスしたら簡単に買えた4,000円のP席でしたが、何日経過しても沢山チケットがあるみたいだから、「これはあんまり売れていないのだな。」と思っていたら本当に空いていた。
 この写真は開演20分前のホールである。
 衝撃的な状態・・・
 「高い席に移動できるな。」と誰もが考えるでしょうが、そんなことよりあまりの少なさにオケが本気を出さなかったらどうしようと不安になった。
 それでも最終的には4割程度は埋まったように思う。
 小生は移動せずに臨場感を体感した。
 そう大人は動かないのです。
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 団員たちがステージに登場しはじめたときから関心を抱いてしまったのは、メンバーが全員揃うまで奏者は起立したままの状態だから、この雰囲気が旧ソビエトの団体だなと好ましく感じられたことで、アメリカのオケの場合はお客の開場時間前からバラバラに練習したりしているから、席に座っても常々騒音だと思っていた。
 確かドレスデン国立も同じようにマナーがしっかりしていた記憶があるが、現在もそうなのかは知らない。
 実は音楽と関係ない開演前の行動は重要に感じていて、サイトウキネンがアメリカと似たような騒音なので、2年前初めて松本に行った時に席に座ったらトロンボーン奏者が「断頭台への行進」とか繰り返し練習していてイライラしてきてしまい、たぶんマエストロがボストン流で自由にやっていいと許可したのだろうが、みんなと一緒に指揮者が登場する小澤パターンを貫く位なら、茶道に似た所作を重んじていただいても良いのではないかと少しだけ思っていた。
 平等と自由と表現すれば美しい言葉だが、もしかしたら笑顔で「さあ、始めようか!」と「強制された均等」かもしれないから、必ずしも正しいとは思えないのです。
 舞台上手後の席はモスクワ放送パーカッション奏者が近くだから登場しただけでワクワクしたし、タンバリンを叩く小太鼓のオヤジも元気そうだから嬉しくなってしまった。
 登場したフェドセーエフは昔とあんまり変わらない印象で、とても80歳には見えなかった。
 
 最初の曲はスヴィリードフという知らない人の作品だったのですが、下調べもしないで当日を迎え、知らないまま聴き始めたら、時々演歌調の映画音楽みたいな旋律で良い音楽なのか?そうでもないのか解らなかったけれど帰宅してネットで調べたら本当に映画音楽だった。
 オーケストラの響きがあまりに美しいので期待が膨らむ。
 この日、2曲目のリムスキー=コルサコフを一番集中して聴いていたのは僕だと勝手に思い込んでいたのは、2日後に自分が舞台でナビゲーターをするアレンスキーの恩師がこの人だからで、これまでの人生の中でこんなに真剣にスペイン奇想曲と対峙する瞬間が訪れるとは考えてもいなかった。
 そして再び思うのは、オーケストラが素晴らしい!
 日本のオケの場合失敗する為に作られたようにしか思えない楽器の代名詞ホルンが、間違えないで演奏している夢のような現実がそこにあった。
 休憩時間にブロ友ハ○コウさんに会えたのですが、「凄い演奏ですね。」と共感しあえたから、僕の幻聴ではないことに安堵す。彼は「マエストロ元気ですね。あと10年いや20年位やりそうですね。」と言葉にしていた。20年したら100歳。でもそんな奇跡も起こりそう。
 
 ショスタコーヴィッチ10番は名演だったと断言します。
 これまで10番に対してなんか勘違いしていたような気持ちになったのは、激しく苦悩を煩いながら上官の命令に従わなくてはならない身寄りの無いロシア人兵士が腱鞘炎の痛みに耐えながら赤旗を振り続けるような音楽だと思い込んでいたことで、全てはムラヴィンスキーのCDの責任なのでしょうが、フェドセーエフでは鳴り響く金管楽器やパーカッションが尖がって聴こえてこないと申しますか、勿論弦楽器を含めて全てにおいてバランスが良く美しく鳴り、しかも聴いていて草臥れないのです。
 誰がどこでどう評論するのか知ったこっちゃない。
 フェドセーエフとオーケストラの信頼関係はチャイコフスキーではなく、あのショスタコーヴィッチの10番から気品に満ちた慈愛溢れる優しい音楽を導き出した。感動的だった。
 もしかしたらショスタコーヴィッチへの考え方を改めなくてはいけないような気持ちになったし、まだまだ勉強が足りない自分の人生に反省。
 アンコールは「スペインの踊り」 
 タンバリンのオヤジが楽しそうにリズムを刻み、超絶技巧のカスタネットにマエストロが微笑む、奏者皆が笑顔になれる楽しい世界は、クライバーの「雷鳴と電光」みたい。
 会場はスタンディングでの喝采。お客さんは少なかったけれど、フェドセーエフを本当に好きな人たちだけが集結したのかもしれないと僕も拍手を送った。・・ハ○コウ氏は泣いていたらしい。
 
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 実は生前母がフェドセーエフのファンだった。
 それは僕が何かの用事で聴けなくなった演奏会のチケットで母がモスクワ放送の「悲愴」を聴きに行った。
 そしたら3楽章を聴いていた途中で、なんでだか分からないけれど涙が止まらなくなったという話があった。
 同じ月に母を連れてクライバーの「ボエーム」に出かけたら、休憩時間にフェドセーエフ夫妻が腕を組んでロビーを歩いていて、その時にサインを頂戴したのだった。(あのサインは焼き場でそっと棺桶に入れた。)
 なんて話を終演後にマエストロに伝えたら、あきらかに表情が変わり隣にいた奥様と視線を合わせた。
 CDにサインしてもらった。
 何故「1812年序曲」のCDなのか。
 ちょうど200年後が今年2012年だと実に馬鹿らしい理由に気がついたからです。
 
 またチャイコフスキーSОと日本に来て演奏してください。
 今年は良い音楽会に当たる。
 ついている。
 以上。