フランコ・コレルリ E lucevan le stelle

 フランココレルリのカヴァラドッシ(1967年パルマ)なのですが、なんかこれもの凄い歌唱。
 騒ぎまくるお客で完全にオペラ中断。時代を感じさせるノイズが良い感じ。
 「ああ、こういうぶっ壊れた歌が聴きたい!」 
 
 ☆そこで11月14日のレオ・ヌッチのリサイタルのチケットを購入した。
 ヌッチはバリトンだけれど、情熱的なラテンのオペラアリアが聴ける大きなチャンスである。
 来年のスカラ座公演「リゴレット」で主演の予定だけれど、オペラはキャンセルがつきものですから実際はその日にならなければ分からないですし、チケット代金だって馬鹿にならないから、やっぱり聴いておきたいと思ったのです。それに今年は行く演奏会が次々と大当たりだから運気の流れもいいようですし、先日の「アンナ・ボレーナ」に接しやっぱり僕は歌が好きだと実感したのです。
 今回はS席が19,000円だから安くはないけれど、まあそんなものだろうし、人生の投資だと思えば安いと考えたのですが、なんとなくオークションで調べてみたらラッキーなことに激安で購入できてしまったのだから、奇妙な気分である。最初は騙されているような感じがしたのですが、送金したら直ぐにチケットがやってきたから有り難き真実として受けとめてイタオペモードに入ろうと思っております。金額は内緒である。
 
 昼間1996年に日本公演したフィレンツェの「ルチア」の録画を観た。
 グルベローヴァとラ・スコラが歌いメータが指揮をした舞台だけれど、人生はあっというまに過ぎ去るのだなと、どうすることもできない時の流れの残酷さに暫し悲しい気持ちになってしまった。
 まだ若いメータがジャカジャカ煩い伴奏だなとか、グルベローヴァの声が今と違うとか、観る人によって色々思いも様々でしょうが、僕の心を捕らえ離さない感覚はこの日ラ・スコラの調子が素晴らしく、輝くように何処までも響き渡る明るい声質があまりに切なく、そして懐かしい。
 この人を最初に聴いたのは偶然ウィーンに旅行したときだったのだけれど、誰もが期待していたテノールだっただろうし「ついに本物が出現した。」と思えた。ただスコラは随分と波があった。良い時も悪い時も聴いて満足したり、そうでなかったり色々だけれど、死亡記事を見たときの衝撃はいまだに生々しく、そして息苦しくなるような気持ちで、<死ぬのはいつもテノールばかり>のような可笑しな印象。
 
 とにかくレオ・ヌッチが聴ける喜びをかみしめ劇場に行かなければ。
 ルーナ伯爵とか好きなアリアもあるので期待している。
 開演のベルは自分がまだ生きている確認でもあるのです。