2012年の演奏会を振り返る 「連帯と個」

 今日はお休み、気温も低く鳥の鳴き声もしない静かな月曜日は、焙煎したばかりのエチオピアコーヒー。
 先日名古屋の「マツヤ式」のコーヒー器具を手に入れて工夫しながら淹れてみたけれど、上手に仕上がったのかよく分からない。
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 少し早いけれど年内の演奏会予定は全て終了してしまった。
 ヤンソンスツィメルマン、今宵サンフランシスコ響の演奏会があって数名のブロ友が(P席、LA、S席の人もいる。)聴きに行かれることも知っているのですが、僕にはもう充分で今後よほどの事がない限り今年はお仕舞いにしようと思っている。
 ブログに書かなかった演奏会を含めてなんだかんだ20回くらいはホールで聴いたけれど、今年に関しては何が一番だったとか言えないくらい素晴らしい演奏会ばかりだった。
 それでも冷静に振り返りあえて答えを導き出すなら、ウィーン国立歌劇場公演「アンナ・ボレーナ」ということになってしまうのは聴覚だけではなく視覚をも満足させるオペラであることと、グルベローヴァへの惜別以上に、ガナッシはじめ才能ある若手歌手に明るい未来を感じられた総合力と品格にある。今後これ以上のドニゼッティを聴くチャンスはもう来ないことだけはわかる。
 それでも、いきなり歴史を塗り替えるようなもの凄い歌手が出現する可能性もあるだろうけれど、精神のキャパと申しますか、聴く側の能力にはどこか限界があって、なにも「アンナ・ボレーナ」に限ったことではなく、グルベローヴァのような決定的な存在が自分の音楽鑑賞欲求旺盛な時期と重なり何度も聴いてくれば、他の人ではもうこれ以上は鑑賞に堪えないと脳が機能しはじめる。つまり先の見通しがぼやけてくる。例えばラーメン屋で替玉おかわりして、もう食べられないのに無理やり我慢しながら「もう一つおかわり・・」これ以上進めるものなら確実に嘔吐する。
 デスクの本棚グチャグチャ。右からクライバーグルベローヴァ、つい先日のヌッチのサイン、剣玉は暇な時にするのだけれど、何故か頭がすっきりする。本に囲まれながら死ぬることが目標。もっとロマネスクな雰囲気にしたいけれど、どのように工夫しても馬鹿みたいな部屋になってしまう。
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 吉田先生が素晴らしい演奏に出会い、視覚が<「縦横に揺れる」を最初に経験をしたのはフルトヴェングラーだった。>のような文章を読んだことがあるのですが、今回のオペラで自分の脳が縦横の指令を出していたかというと、正直な話そいつは少しだけで、もっと揺れた演奏会は存在した。
 その一つは、マゼールN響チャイコフスキー4番。
 ただこの演奏会を思い返すと数々の疑問が浮上する。
 細かな事はともかくとして、ラジオで聴かれた友人の話では僕が客席で感じたほどのものはなかったようで、その辺りの感覚のずれが非常に興味深い。実演の感想は、いつものN響より音が大きかったことと、奏者同士の一体感と本気の表情にあったと思い出すから、FMでは伝わりづらかったのではと想像する。
 そういえばヤルヴィの演奏会は後日FMでも聴けて、なんとなく確認作業みたいだったのですが、良い悪いとは関係なく別物のように聴こえてきた。そうなってくると、ハーディング指揮のサイトウキネンにしても録音されたものでは同じような意識が働くような気がしなくもない。マゼールとハーディングはいずれテレビやDVDで観るチャンスが訪れるでしょうし、なんとなく楽しみにしていたけれど、時間が経過してくると半分はどうでもいい気分になってくるのだから、人はわりと簡単にしかも都合よく記憶を忘却するものなのかもしれないし、もう終わったことよりも先のことを考えた方が健全に思われる。思い出は美化されたとしても、記憶は削がれ不確かな形状に変化する。
 上記の吉田先生の言う縦横の感覚は、趣の異なる可能性もあって、音楽の大小に関係なくステージ上の指揮者や歌手等に視覚的に光が集まり奇妙に輝いているように見えてくる。正確には周囲が影で覆われて主役が浮かび上がってくる印象で、あの瞬間はごく稀にしかやってこないが、果たして音楽を聴いていると言えるのかそれとも肉眼の悪戯なのか理解できないでいるけれど、吉田先生が感受された方向と似たような世界観だったなら嬉しい。
 サイトウキネンで思ったことは、ハーディングは様々なアソシエイションを共通理念のコミュ二ティとして纏め上げ<尊厳ある個>と意識付けたと覚えていて、稀有な体験で大きな感動があった。しかしながらフェドセーエフに約45年間コミュ二ティを存続させてきた<連帯の実績>を見せつけられた。目指す方向は違うし、最初から対比対象なんて不可能で、更にどう考えてもサイトウキネンの方が一般論として評価が高く大衆うけする。
 それでも変わらない意思を感じさせるモスクワの団体はお宝のように輝いていて、彼らの母国音楽への愛着が聴き手の心を動かす。ソビエト時代の音楽を通じ誰もが抱いていた社会主義の国境問題が、実は牧歌的な民衆の礎により形成されていたのだと教えられたような感覚を持ったにもかかわらず、フェドセーエフのアプローチは以前と同じなのだとしたら、たぶん変わってしまったのは我々の方ではないだろうか。実に微妙な感覚なのですけれどサイトウキネンは年々アメリカのオーケストラのような音になってきている印象を個人的に持っている。
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 この写真は数年の間に密かに収集してきたシェーファーのCDとDVDである。
 
 ☆『一般論的ランキング』
 2位 サイトウキネンフェスティバル松本 ハーディング指揮 「シューベルト交響曲3番」&「アルプス交響曲
 3位 フェドセーエフ指揮 チャイコフスキーSO 「ショスタコーヴィッチ交響曲第10番」
 ☆『自分が感動した的ランキング』
 1位 レオ・ヌッチ リサイタル
 2位 クリスティーネ・シェーファー リサイタル
 3位 ハーディング指揮 サイトウキネン・・フェドセーエフかも?
 4位 「アンナ・ボレーナ
 5位 マゼール指揮 NHK交響楽団 「チャイコフスキー交響曲第4番」&「ルスランとリュドミーラ序曲」
 
 ☆『泣いたランキング』
 2位  レオ・ヌッチ トスティ「君なんかもう」
 3位 「アンナ・ボレーナ」 最後のシーンでのグルベローヴァの絶叫
 
 ☆『サイン貰って嬉しかったランキング』
 2位 レオ・ヌッチ
 3位 シェーファー
 (圏外 パーヴォ・ヤルヴィ
 
 ☆『いろんな意味で、もう忘れたいランキング』
 1位 ソフィー・パチーニのシューマン
 2位 自分の語り
 3位 小澤征爾&水戸室内管「G線上のアリア」
 4位 フェドセーエフのときに幼稚園に満たない位の子供2人を連れてきていた母親が1階席に座っていて、ショスタコーヴィッチの第1楽章と第2楽章の間に子供が「えぎゃ~」と声を発したこと。
 5位 ヌッチの時に品位欠落のブラヴォー屋がインストゥルメンタルの後に叫んでいたこと。
 6位 アリスの裸足
 7位 アリスのグリーグで第1楽章が終わった後に拍手をしたオヤジ。
 
 ☆『大切な買物』
 「永遠の故郷CD版」