フォークトのローエングリン

 FMでのバイロイト音楽祭放送、昨夜は「ローエングリン」でした。
 ノイエルフェルスは以前テレビで放映したネズミの演出で、指揮はネルソンス。
 ラジオなので舞台の動きなどは想像するしかないけれど、視覚は聴覚以上に脳に刺激を与えるような気持ちになるから、音楽だけに集中できる環境は好ましく感じられる。
 一番印象に残っているのは毎年進化を続けるネルソンスの卓越した音楽作り。オーケストラも合唱も素晴らしく、これ以上の「ローエングリン」は簡単には聴けないのではないかしらんと思うくらい。
 歌手に関してはやっぱり主役を演じるフォークトが実に見事だった。
 今年は新国立劇場でフォークトを聴くチャンスがあったにもかかわらず、初台まで出かけることが億劫になってしまいパスしてしまったけれど、チケットを買う買わないはその時々のセンスとタイミングの問題だから、その気になれば次に来るときに出かければいいだけの話。
 それで、「やっぱり聴いておきたい。」とテンションが高揚してしまい、深夜イープラスにアクセスして上野の春祭り「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を申し込んでしまった。演奏会形式だけれどフォークトがワルターを歌うのに家にいても仕方がない。「音楽好きは現場に出動せよ。」と言いたいのはいつものこと。
 
 この歌手を最初にFMで聴いたときは、過去の先入観から知っていたヘルデンから程遠いリリック的な歌唱にストレスを感じていたけれど、最近は寧ろ逆で繊細な声の中に存在する芯の強さに魅力を見出している。そいつはおそらく間違いではないのだなと、ローエングリンの登場から最後の別れのシーンに至るまでの表現幅の大きさに関心を示してしまい、ここまで歌いきるのだから実像に接してみなければと思ったのです。
 最近は仕事が無くて暇だから動画で色々観ているのですが、昨日もつい先日収録されたスカラ座バレンボイムが指揮している「ローエングリン」を鑑賞していて、ここではカウフマンがバリトンみたいな太い声で白鳥の騎士を演じ、所謂一般的なヘルデンテナーの歌で興味津々。そして全体的にもバレンボイムに統率された音楽はとてもミラノスカラ座だとは思えない、どこかの優秀なドイツのオペラ劇場みたいな世界。
 比較してもどうしようもないけれどFMでのバイロイトの方がライトな音楽だから、聴き手によっては好みの別れるところかもしれないと感じつつ、僕の個人的な感想だけれど、主役に関してはカウフマンではなくフォークトに将来を賭けたい気持ちになってしまった。もしかしたらネルソンスにしても似たような気分でバイロイト若干3年目のプロダクションでこれほどまでに完成度の高い音楽はあんまり無いような印象を持ってしまった。ネルソンスは丁寧に音楽を構築、意識が高揚しても暴走しないからティーレマンとは正反対。情熱的だが冷静な音楽。
 フォークトの歌い方は繊細過ぎて物足りないとお感じになる人が多いと想像するけれど、透明感のあるローエングリンには奇妙に現実離れした神々しさがあって、僕は単純な聴覚の持ち主だろうから徐々に魅力に嵌りだし最終的には満足してしまった。
 他にはテルラムントを歌っていたトーマス・マイヤーの素晴らしさに夢中になった。言葉が明瞭で力強さも申し分ない。