ティーレマン指揮「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のDVD

 
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 前々から聴きたいと思っていたシュトルックマンが歌うハンス・ザックス(ウィーン国立歌劇場2008年1月の公演)のDVDが届きました。
 発売されたときに直ぐに購入するつもりでいたものの、読み替えの無いごく普通の舞台しか作らないないオットー・シェンクが演出だということと、絶対に巨匠だとは思えないティーレマンが指揮していることと、高額ということ等、様々な理由が混ざり合って遠まわしになっていたDVDである。でも調べてみればamazonは安かった。日本語字幕の無い輸入盤だけれど、本来翻訳は有り得ないものだから、ワグナーの時はそのまんまドイツ語字幕にして鑑賞したり字幕無しにしたりする。
 時間があったので劇場気分を感じたいと思い、幕間に30分程度の休憩を入れ、合計5時間位かけて全曲鑑賞した。良かった。感動・・
 これまで実演と録音全部ひっくるめて何人のザックスを聴いてきたのか分からないけれど、個人的な好みとして今回のシュトルックマンが最も素晴らしいと感じた一人だった。その歌唱は、常に声を前に飛ばす力強さがあり、重唱等の目立たない箇所でさえ誤魔化すような引きが無い。少しでも歌ったことがある人なら解ると思うのですが、カラオケでもなんでもいい、本気で何分歌えるものか。ここでの表現は狩猟民族のそれであり、完全に肉食人間の音楽なのだから、「魚と野菜が好き。」等と言っている場合ではない。
 以前歌を習っていたときに1時間大声で歌っていると、もう声が上がってしまいコントロール不能になって何も出来なくなってしまう。それでも発表会に向けて頑張って練習を続けて、僕はバリトンなのですが、たかがトスティのА音を一回出すだけで肉体の限界が訪れる。
 劇場に行けばブーイングする族がいて気持ちは解る場合もあるけれど「いかがなものか?」と問いたくなるし、逆にお正月のNHKニューイヤー・オペラ・コンサートの高音外した「女心の歌」で「ブラヴォー!」とかは、「ああ、この人は会社や家族と上手くいっていなくて大変なのかな?」なんて想像する。つまり周囲にはViva・Verdiと思わせながら、実は「私はここにいる!」という心の叫びなのではないかしらん。
 関係ないけれど、「ワルキューレ」第3幕からウォータンとブリュンヒルデの別れのシーンを聴いているチビ。ブリュンヒルデは神聖を失い燃え盛る炎の中深い眠りにつく。バレンボイム指揮バイロイト祝祭管弦楽団。ウォータンはサー・ジョン・トムリンソンである。「お前はではない。になれ!」とモーツァルトが好きなチビにワーグナーばかり聴かせている今日この頃。
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 それでティーレマンの指揮ですが、「やっぱりこの人おかしい。」と序曲から思ってしまった。今に始まったことではないけれど、テンポが奇妙に動くし、もっと鳴らしてもらいたいと期待してしまうホルンの音が弦の厚みにかき消されたりするから、個人的な気持ちだけれど、わざとらしさを感じてしまうのです。しかも自信たっぷりの面構え。何故かオケもしっかり反応しているしお客にもうけている。たぶんフルトヴェングラーみたいに思いたいし思われたいのでしょう。
 テンポといえば、長いオペラの聴かせどころでもある3幕1場最後の五重唱なんか、呆れるほど遅くて、(まるでスローモーションでクナッパーツブッシュも吃驚状態。)エヴァ役のRicarde Merbethは、それはそれは必死になって歌っていて気の毒に思われるのは、歌詞の内容がSelig,wie die Sonne meins Gluckes lachr Morgen voller Wonne selig mirerwacht・・・・(ウムラウトの書き方がわからない) 明るい太陽のように幸せは微笑む、喜びに満ちた朝が訪れる・・・と歌出だすエヴァが一番長くて大変なのですが、ザックス、ワルター、ダーヴィット、マクダレーネも皆がそれぞれの思いを<心の中で表現される>必要性があって、遅い分感情移入しているのかもしれないけれど、彼女はジェシー・ノーマンじゃないのだから思い切りブレスして叫ばなければ歌が崩壊してしまうのです。僕の直感だけれど間違いなく歌手に嫌われるタイプの指揮者だと思う。「Wach ayf・・」感動的な「目覚めよ!」の合唱にしてもあそこまで主張すると返って違和感を覚える。休止符というより呼吸が出来ない奇妙な間(ま)なのです。
 昔、バイロイトの放送を聴いていてミハエル・シェーンバントという指揮者が「マイスタージンガー」を振った。確かホルスト・シュタインのあとに担当した人で、ウォルフガング・ワーグナーのプロダクションだったと思いますが、テンポはノーマルだったけれど独特の間の取り方をする演奏で、「目覚めよ」の合唱やワルター「優勝の歌」の直前に思いがけないくらい沈黙があって効果的に感じられたことを思い出した。あの人どうしているのだろう?あれ以来名前を聞かない。
 ダーヴィットのシャーデ、ワルターヨハン・ボータは素晴らしくて満足。
 でも最大の力は、やはりシュトルックマン。ラストのソロは常人なら途中で駄目になったのではないかと思うけれど、ティーレマンの速度に見事に対応し完璧に歌いきった。
 吉田先生なら洒落た言葉を引用できるのだろうなと思いつつ、例えばジャイアント馬場が乱入してきた全盛期のスタン・ハンセンのラリアットに耐えた感じでしょうか。
 ザックスがVerachtet mir die Meister nicht,und ehrt mir ihre kunst!「マイスターを侮らず彼らの技を信じなさい・・」その対象は、なにもワルターだけに集約されたものではなく、マエストロのアプローチをも捻じ伏せ、聴き手に深い感動を齎した。あの誰をも説得させてしまう言葉は素晴らしい。nicht,Kunst!「・・トゥ!」かっこいいな。
 相手の立場と成長を促す叱り。暴力的体罰と対極の形。