グールドとコーヒーと憂鬱と希望

 先日、バスで藤沢駅に向かっていたら途中の停留所で見た顔が乗車してきた。
 それはいつもコーヒー買っている焙煎士だった。
 彼の住居は僕の家の近所なのに、たぶん自宅から2キロ以上は離れているバス停から「ああ、どうも。」なんて言いながら乗ってくる状況が非常に奇妙な雰囲気で、近辺に大きなショップでもあれば何とも思わないのでしょうが、そこは世の中であんまり役に立っているように思えない通過地点的場所。
 僕は他人の行動に対して干渉しないので、普段なら何かの用事があったのだろうと思う程度でしょうが、その通過地点的場所でバスを待っている彼が、実に社会に馴染んでいないというのか、はっきり書くなら存在自体があまりにも変だから、思わず「なんでここから乗ってくるの?」と質問した。そしたら常人の発想を超越しているとしか考えられない理由を説明しはじめた。
 「小銭入れに170円しか無かったから、ここまで歩いてきたのです。」
 僕、「170円しか持っていないの?」
 「違います。お札はお札入れに数枚入っていますけれど、千円札を両替しなければならない状況は人生の敗北を意味する。・・・そう、それは負けです。」
 つまり解説するなら、<最寄のバス停から藤沢駅まで240円が必要なのに、小銭入れには170円しかなかったから、170円で駅まで行くことのできるバス停まで歩いた。>ということで、それが数分で移動可能なら誰もが共感だろうけれど、差額70円のために数十分歩いたことを意味する。
 普通の人間ならそこまでの代償を求めやしないが理屈としては解っていただけると思う。
 しかしながら問題は差額がどうこうではなく、その先にくる「敗北」なる言葉に大きな意味が集約されていると、豆を購入しはじめて数年経過する僕には解る。いや、もしかしたら遥か昔、幼少時から似たようなことを考えながら人や物と接してきたような気がしなくもない。ジンクスではない。物事を有利な方向に導いたり豊かで納得したひとときを過したいとか、まして物欲なんかとは無関係な・・・なんだ?気の利いた言葉が思い浮かばないことが悔しく、人生の敗北は大袈裟かもしれないけれど、日常のちょっとしたことで確かにそういうことは有る。
                     
 購入したばかりのグールドを聴いていると、やっぱり素晴らしい。誰もが言うようにきっとエキセントリックなのでしょう。前屈みで猫背。椅子が極端に低い。歌いながら自分に指揮しながら弾く。調律が普通じゃない。コンサートは死んだ。魚が可哀想とモーターボートに乗り釣り人を妨害。深夜電話で友人にモーツァルトのオペラを歌って聴かせ睡魔に勝てなかった友人は眠ってしまった。数十分後目覚めた友人が慌てて受話器を持つとまだ彼は歌っていた。僕はこういう奇行が羨ましい。トリビアリズム?確かにそうかもしれないがネタとしては面白い。
 他に類を見ない稀有な情熱に気がつかされたとき、不思議なものでエキセントリックな幻想は音楽の前に平伏す。つまり情熱とはロマンチシズムであると考えてもいいのかもしれない。夢見る心は個々のローマへの道しるべと考えれば無責任ながら勇気が出てくる。
 グールドに詳しい評論家の何かで読んだ文章にバッハの録音と、ベートーヴェンの演奏スタイル、また特にブラームスの類へのアプローチの違いを指摘しているけれど、僕はその境界線に関心はない。もっと表層的な感想としてテンポの問題を指摘する人もいるけれど、更に関心がない。そんなことより残された録音から自分が何を感じ考えたのか発信してほしい。
 最後に悲哀と憂鬱について考えてみた。
 フロイトがこの2つの言葉に分類していて(あくまでフロイトが言っていることで以下の考察が全て正しいとは思っていない。)
 悲哀とは例えば隣人の訃報で悲しんだとしても、喪に服しその後の時間経過や出会いにより、別の対象に向けての愛を獲得することができる。
 憂鬱とは「苦痛に満ちた不機嫌さ、外界に対する関心の放棄、愛する心の欠如、妄想、愛する対象が具体的なものではなく概念的であるがため、喪失に対し自己愛に退行してしまう、自己に向けられた愛はいつしか憎しみに変わる。」のような事をフロイトが言っている。自殺の原因との関係性ともいわれている。美しい言葉でいえばメランコリーなのですが、日本語なら境界性の障害であり、鬱状態ということでしょうか。
 何故こんなことを書いたかというと、グールドの音楽には、時に苦痛に満ち不機嫌な場合がある。そして外界への拒否、自我感情の拒否、妄想、概念的な愛情対象、自己愛への退行等が顕著に表れている。僕にはそう聴こえてくるし、それが誰にもできなかった音楽として表現された。お蔭様で日々楽しんでいる。
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 敗北から派生した話ですが、幼少時から毎日心の中で拘り続けた生産性のない思考。 
 それは「希望」なのではないかと急に感じられた。
 グールドには希望と憂鬱が行ったり来たりしながら聴き手に情熱を提供してくれる。
 トリビアだろうが奇行だろうが、大いに受け入れたい大切なピアニスト。