つけ麺とアイスコーヒーと10枚のCDと私
黄昏の新橋は濃厚で甘めの辛口スープがよく似合う。最初は美味しいけれど、途中からくどくなってきて、最終的にはもう食べたくないと分かる。知りたければ怪しい西口通りを真っ直ぐ進むがいい。そこでは銀の薔薇が鈍色に輝く。
写真は戦利品?
バッハ ブランデンブルク協奏曲 2・3・4・5番 J・パイヤール パイヤール室内
同上 ブランデンブルク協奏曲 4・5・6番 K・リステンパルト ザール室内
レーガー 四手のためのピアノ曲 タール&グロートハウゼン
フンメル ヴァリエーション J・Trzeciak
「屋根の上の牛」他 スウィンギング・パリ アレクサンドル・タロー
そういえば、その昔新潮文庫で読んだサキ短編集で牛の絵しか描かない画家の話が出てきて、彼の最高傑作が「晩秋の居間における牛」というタイトルだったと記憶している。ちなみに僕はこれまでの人生の中で誰かとサキについて語り合ったことはない。
それと
蒙都指揮倫敦交響樂團&維也納愛樂管弦樂團「命運」&「田園」は未開封。
第5交響曲「命運」 第一楽章・・充満活力的快板 第二楽章・・活躍地的行板 第三楽章・・快板 第四楽章・・快板 189元と記されている。面白いからもっと書きたいのですが、変換ができない。
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まずリステンパルトを聴いてみたのですが、こりゃ素晴らしい。なんと申しましても精神的に落ち着く気分なのは、音楽性がどうこうというよりも純粋で害の無い空間に導かれるから、俗世間から離れ誰にも発見されないまま数千年・・世界最古の即身仏になれるような気持ち。
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かつて一日ドンブリ一杯のパセリを食べることを課題にしていたことがあって、最初のうちは味の素のマヨネーズをつけていたけれど、一週間後には化学調味料の味が気になりだしキューピーに変更した。しかし数日でビネガーが気になり、最終的には何もつけずに食べることが一番美味しいと気がつき鮮度にも拘り始めた。
ちょうどその時期にクラウス・ペーター・フロール指揮バンベルク交響楽団のブルックナー9番をサントリーのRA席で聴いたことを思い出した。静かに第3楽章が終わり静寂も束の間、どこかのアホが大きな声でブーイングをした。そいつがもしも僕の隣にいたら殴っていたかRA席からステージに突き落としてやった可能性もあるのだけれど、すぐさまブーイングに対しP席に座っていた男性が「ブラボー!」とやり返した。その男性の隣には外国人らしき女性がいて同調するように言葉を交わし拍手をおくっていたから二人は恋人同士なのかな?夫婦には見えなかった。
演奏会が終わっても暫く席に座ったまま動かずにいて、ただ誰もいなくなったコントラバスが置かれているステージを眺めていたが、いつまでもそうしている訳にもいかないから出口にむかい歩き始めた。
たぶんホールから出る最後のお客の一人だったかもしれないのは、オルゴールの下辺りから見た広場に殆ど人がいなかったから。ただ広場の中央に男女が抱き合っている姿をのぞいては。それはP席にいた二人で、月明りで気がついたのは女性の頬が涙で濡れていたこと。彼らになにがあったのか分からないけれど、別れの抱擁だったことは間違いないと感じた。
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その日の深夜、僕は新鮮なパセリを一皿食べた。
そのCDが、或いはブルックナーの演奏が良かったのか悪かったのか、そういう問題ではなく、もっと人間的で個人的な人生の一部がカタリと音をたて弾けた。