マゼール&ミュンヘンフィル ワーグナーとブルックナー3番に感涙
4月18日 19時開演 赤坂サントリーホール
結論から書くと、あまりの感動でクラクラしてしまい、暫くは立ち上がることもできなかった。
心からの敬意を83歳のマエストロとオーケストラに贈りたい。こんな演奏は滅多に聴けない。
まだ4月ですが、冗談ぬきで今年度最高の演奏会の可能性、かなりの確立で大。
昔から好きな指揮者なので随分沢山の実演に接してきましたが、聴きにいくたびに異なるオーケストラだったような気がしてならない。音楽家は旅人なのだ。ウィーン、クリーヴランド、フランス国立、ミラノスカラ座、ピッツバーグ、バイエルン放送、そういえば読響、昨年のN響・・どれもこれも思い出深い演奏なのですが、この人は不思議なことにカメラが入っていない日に凄い演奏をする可能性が高いもんだから、周囲にその素晴らしさを話しても「テレビ観たけれどそうでもなかった。」とか「CD聴いても面白くない。」等となかなか理解してもらえないでいる。だから上記のオケでもアタリとハズレが存在していた。
昨夜の演奏会はアタリへ導かれる全ての条件が整ったサントリーホールであったと報告したい。
BMW社がスポンサー。カラヤン広場に2台の高級車が鎮座していて、値札だけ見たら<13,000,000円>以上の金額がスポットに照らされていた。試乗して「うーん悪くないね。」とか言いたかったけれど、ユニクロのTシャツに質素なジャケットで右手にP席のチケットを握り締めていたから、仕方なくそのままホールに入った。モギリ係りのお姉さんが「エスカレーターで2階の奥にお進みください。」・・「わかっているよ!」と言い返してやりたくなったが、紳士は笑顔で対応すると心得ている。
お客の入りは8割程度。初日のベートーヴェンや五嶋龍のパガニーニ&春の祭典の日はもう少し売れていたのかもしれないが、ワーグナーとブルックナーなのだからこんなものかもしれない。見渡すと普段の演奏会より男性率が高いと気がつかされる。真正面の1階センター通路前に小泉純一郎元内閣総理大臣の姿。先日の東京文化会館での演奏会形式マイスタージンガーでも見かけたから、本当に音楽三昧の生活を送られているみたい。
マゼールが楽譜を見ないのは昔から同じ。タンホイザーはゆっくりしたテンポ。こんなに遅い演奏は初めての体験かもしれない。主題を奏でるトロンボーンと弦の響きの素晴らしさ。チェリビダッケの時代から変わらずに南ドイツの明るいバイエルンの音色。とにかくミュンヘンフィルは上手い。マゼールはこの団体の監督になったことで、ようやく理想的な音を手に入れたのではないだろうか。互いの相性の良さが感じられた。
トリスタン聴いていたら、なんだかわからないけれど胸がいっぱいになってしまい不覚にも涙目。本当に凄い音楽だと改めて感じられたし、マゼールは命をかけて音楽を構築しているように聞こえてくる。今後マゼールを何回聴くことができるのだろうか?一音一音大切に記憶に刻むようにワーグナーを堪能した。
そしたら前半だけで草臥れてしまいフラフラしながら休憩時間を過しました。普通「愛の死」の後に音楽は存在しないが、後半のために心のスイッチを切り替える努力。男性客が多いのはトイレへ続く長い行列が証明していたが、ブルックナーを前に並ばないわけにもいかないので社会のルールを守る俺。
しかし休憩時間後ルールを守らない俺。つまりP席からLBブロックの限りなくC寄りの席に移動。驚いたことに空席のなかったPブロックがガラガラになっている現実。それ以上に驚いたのは音の良さで「やはり1万円程度の違いがあるな。」と関心した。ミュンヘンフィルのブルックナーはチェリビダッケで4番5番7番8番を聴いたことがあったけれど、あの大巨匠は今思えばそうとうに稀有な表現で、行ったことないけれど宇宙に投げ出されたような孤独が感じられた記憶がある。
マゼールの宇宙は孤独とは無縁なもう少し身近な世界。例えばビオラの主旋律に人と接したときのような慈愛に満ちた温かみがはっきりと見える。それでいて「人生とは自ら歩みを進めること。昨日のことは既に過去。勇気を持て!今こう指示を出せば未来は変わる。」と、ちょっとした動きで変幻自在にオーケストラを操る。指示に対して演奏家は楽しくてしかたがないような笑顔で答える。
僕はマエストロの背中に質問する「若造が同じようなことをしたら生意気でしょうか?」そのとき音の洪水の中でタンホイザーの動機が出現する。マエストロは答える「NOだ!思ったら行動しろ!それがブルックナーだ。」と語りかけてくれるみたい。エンディングは楽譜を超越?ありえないルバートで締めくくった。
これまでに聴いたことがない世界。圧倒的な3番だった。
拍手もできないで自分が生きていることを確認した。というのも地上と宇宙の狭間で尊厳ある生命と死の世界を何度も往復したような感覚で抜け殻みたいになってしまった。
「あれアンコール?チューバとホルンと打楽器が2人加わるって、まさかマイスタージンガー?」
つい最近N響で同じ曲を聴いたけれど、この違いはいったい何なのだろう。
月とすっぽんというか、蝶と蛾である。この絶望的な芸術の格差は100年経過しても埋まらないように感じた。
途中、通常では考えられないくらい速度が遅くなり、このままでは音楽が崩壊しそうなギリギリまで自由に遊びまくる。誰もが、いつまでも音楽が終わらなければいいと願ったのではないでしょうか。
時間に支配された芸術はどんなにテンポを遅くしてもいずれはエンディングが訪れる。
オフにしていた携帯の電源を入れたら21時39分と表示された。長い演奏会だったのだな。それにしてもタフな83歳、普通ならジジイである。
新橋で食事をして帰宅。深夜自宅近くで空を見上げて独りブルックナーの宇宙に思いをはせる。