録音の良し悪し

 
 上記の音声は1987年ザルツブルクで上演されたR・シュトラウスカプリッチョ
 ルチア・ポップが素晴らしい。ホルスト・シュタインが指揮をしている。山路さんもちょっとした役で出演されている。 そしてシュトラウスウィーンフィルが似合うとつくづく思うのは、一つの理想を獲得しているように聴こえてくるから。「月の光の音楽」の途中で音が途切れるのは、誰が録音したのかカセットテープの時間が足りなくなったのかなと思った。
                        
 最近、録音てなに?と考えていた。音楽を録音したものだから音楽に違いないのでしょうが、マゼールの演奏会のように巨大な世界を体験してしまうと、どのように工夫したところでCDの中に全てを封じ込めることは不可能。
 しかし、もしも録音されたものがあるのなら入手して確認の為に聴いてみたいとは思う。
 ある時、自分が喋っているライヴイベントの音声を2種類聴いたことがあって、一つは知人に客席で録音してもらったもので、もう一つは動画撮影しているプロのカメラマンから貰ったDVDなのですが、僕の声が全く別人のように感じられた。客席からの録音はほぼ想像していた内容だったけれど、DVDではマイクのラインから録音してあったので音声が極端にデットだったことに当惑したのだった。つまり唯一無二のライヴなのか、必要不可欠な記録として捉えるかで変化が生じるのだと思う。これは冷静に考えたら恐ろしい話で、これまで仕事で録画された無防備な自分の声がどの程度世の中に供給されているのかと思うと、たぶんどえらい数で、どうすることもできないけれど不安になったのです。(酷い場合は声を加工されていたり・・うんざり)
 CDぐるぐる交換会でカラヤンの「ハンガリー&スラヴ舞曲」を頂だいし聴いてみたのですが、この世のものとは思えないくらい美しい録音だから吃驚してしまった。そういえば吉田秀和先生がカラヤンの「田園」で「確かな目・・全てが見える。」とか書いていて、確かにその通りの世界がそこにあるのだけれど、現実的に全てが見えることはありえない。吉田先生の本を読まれた人の大半は、カラヤンの「田園」を褒めていると思うかもしれないけれど、僕にとってはさかさまで、あそこまで明確だと困ってしまうのです。誤解が生じると面倒なのですが良い演奏だと思うし好きな人がいることもよく解る。ただ、最高のホールで最高額のチケットを購入したとしても同じように再現されることは絶対に無い。別の言い方をするのなら、完璧な編集が施された音楽がそこにある。僕は生身の人間の呼吸や楽器の軋む音は音楽の一部だと思っているから、最初から派閥が違うようです。
 ジャケット写真では帝王にピントが合っていて後の木々がぼやけて見えるけれど、このCDが凄いのは全部にピントが合っていること。
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 昨日、パスピエさんのブログを読んでいたらカルロス・クライバーブラームス第4交響曲CDの音質について言及されていて、これまで気にしないでいたのだけれど、ちょっとドキリとしたのです。
 クライバーは最も好きな指揮者の一人で、ブラームス4番は最も好きな交響曲の一つなのですが、これまで何故かあまり聴かないままでいたのは、どこか金属的な響きに感じられて草臥れてしまうからだと気がつかされたのです。この人は録音で損しているように感じていて、オルフェオから出ているライヴ盤やタワーなんかで平然と売られている非正規盤の方が生々しくて楽しいのですから、嬉しいやら悲しいやら、なんともいえない気分。
 でもグラモフォンの正規盤がお好きな道徳的な人もいるでしょうし、僕の耳がおかしいだけかもしれません。
 でも奇妙な編集されていない非道徳的な非正規盤って面白い。
 ☆ルチア・ポップ聴きながら文章を書いていたのですが、オペラの最後の場面で音声が完全に途切れた。緞帳が下りるまであと30秒無いくらいなのに!残酷な非正規録音にがっかり。
 
 山路さんの歌は1時間12分43秒あたりから約4分間。