「考える人」 小林秀雄、最後の日々

 八幡宮の近くに干物を販売しているお店がある。本店は小田原かな。
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 どうせ高いだろうと今まで入らないままでいたのですが、試食の匂いに立ち止まってしまった。
 タッパーにシールで「鯖」とか「ゲソ」とか書いてあって「自由に焼いてお召し上がりください。」というシステムになっていて、それが美味そうで周囲の目線を気にもせずに焼きの作業に入った。
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 試食の効果は絶大なのか、自分が単純なだけなのかもしれないけれど、結果として鯵と金目鯛を購入した。
 僕は昔からメディアで取り上げられるような単価の高い「男の料理?」が嫌いで、自宅で料理を作るときは冷蔵庫の中だけで解決させるようにしているのだけれど、意に反して時々このような食材との遭遇がやってくる。ただし安い場合に限られる主夫としての感覚に揺るぎはない。購入したのは傷物という種類で、肉厚の金目が5枚で300円、鯵に関してはもう少し贅沢な内容。上質な干物だと見てわかる。
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 そのあと駅の近くの本屋で「考える人」小林秀雄特集があって立ち読みをしてみれば、河上徹太郎氏との対談が面白い。(付録のCDにも収録されていて初公開。1979年7月23日福田屋。)
 
 
 
 河上 君と対談すると聞いて、安岡章太郎君が・・源氏と平家だな・・っていったそうだ。
 小林 ・・冗談じゃない。
 河上 君は「東えびす」で、僕は西国の「みやび男」・・
 小林 しゃれは止めとけ。・・・60年なんの変わりもないな。
 河上 出会いの還暦だ。
 小林 そう、還暦といっていい、「源平」どころじゃない。平穏無事で・・・交わってさえ来なかった。僕はそう思う。
 河上 交わっていたら喧嘩しているよ。いや、喧嘩はとにかく、こんなふうには付き合ってはいないだろう。
 小林 いや、交わりのほうは、よしたんだよ。
 河上 うん、そう言えばそうだ。
 小林 君子の交わりは水のごとし。・・洒落ではない。お互いに君子じゃないのは、わかりきったことだがね。
 河上 いや、如水の交わりをする奴は、君子だってことだ。
 小林 だから淡きこと水のごとき交わりをするのに、なにも君子たることを要しないということになるな・・・・
 (中略)
 
 レジで自分の金銭感覚を思ったのですが、どういう訳か本を買うときだけ財布の紐が緩くなる。
 本屋から出るとなんとなく散歩したくなり、ぐるりと吉田先生宅を迂回するようにしてバス乗り場まで歩いた。門から玄関までの手入れは変わらない。花菖蒲が美しい。小林氏が山の上から引っ越されてきた場所は今ではどこにでもあるような二階建ての家が数戸あって、襟のある半袖シャツを着た男性が念入りに洗車していた。
 「考える人」に、杉本圭司氏「契りのストラティヴァリウス」1982年12月28日、病床の小林秀雄永眠2カ月前に電波として届いたメニューヒンは感動的な内容。初来日時高名な評論家の悪意ある記事との対比が面白く、僕は何度か繰り返し読んでから雑誌を閉じ、フランクをBGMに「近代絵画セザンヌ」お気に入りの数行、どこにいったか探したけれど可笑しなことに行方不明。
 対談は文章で読めば感銘を覚えるもののCDだと耳障りで立ちの悪い酔っ払い同士のそれだから、たまたま入った小さな居酒屋で不幸にも我慢しながら隣の大声を聞いているみたい。そのとき僕は夕食を作っていて、台所を片付けながら準備を整えた。
 そして冷酒片手に独り鯵の干物を食べた。
 
 
 
 
 河上 モーツァルトとか、ベートーヴェンとかが、堅っ苦しくて厭なんだ。
 小林 当たりまえのことが起こっているんだ。君さしみは好きだろう。ところが、年齢とってきて、この頃はさしみが生臭くなってきたころがあるのだろう。
 河上 そうなってきた。 ・・・・中略・・・・
 小林 「神さまは、バッハよりモーツァルトのほうがお好きだろう。」とバルトが言った。と君は書いていたな。あれはおもしろい。
 河上 ※ゲオン推賞のクィンテットの話となれば、もうおしまいにしてもいいかな。
 小林 おしまいにしよう。
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 6月1日に逗子の花火大会があった。毎年8月だったけれど震災以降日程が早くなった。華やかな光を確かに見たけれど、季節感の伴わない打ち上げ花火は湿度を含んだ闇の中に微かな痕跡を残して消えていった。
 (※ゲオン「モーツァルトとの散歩」第九章で「K515」「K516」について言及。)