PMFオーケストラ東京公演 7月30日サントリーホール

 久しぶりの演奏会。
 PMFオーケストラ東京公演(プログラムC) 7月30日19時~サントリーホール
 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26
 アンコール ヴェニスの謝肉祭
 アンコール ホルスト「惑星」ジュピター(PMFヴァージョン?左右のパーカッションに奏者が加わり激しく叩きまくるド派手な編曲。)
 指揮 準・メルクル  ヴァイオリン ワディム・レーピン  PMFオーケストラ
                    イメージ 1
 普段ならチケットを買わないだろう俗っぽいプログラムなのですが、実演に飢えていて何でもいいからオーケストラが聴きたかった。当日券も販売されていたから空いているかなと思ったけれど、開演時間にはほぼ満席になっていた。
 
 PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)とは、ご存知のように1990年にバーンスタインにより札幌に創設された国際教育音楽祭。世界的な音楽家を教授陣に迎えていることが最大の特徴で、世界各地で実施されたオーディションを通過した若き演奏家が約1ヶ月間にわたり実践的なトレーニングを受ける。昨夜30日の演奏会と、今夜(武満とマーラー)が、今回の成果を発表する最後の舞台ということ。
 
 気軽な感じで楽しめれば程度の考えだったのですが、結論から言うと、これまでに味わったことのないほど意識が高揚した。
 驚いたことに、そこらへんのプロ団体より確実に上手い演奏をする。それでも高い技術だからといって感動するとは限らない。この感覚を理解していただかなければ何も伝わらないと思うのだけれど、捻くれた見方をすれば、準・メルクルの芝居がかったケレン味に純粋な若者がその気になって暴走した感じがしなくもない。でも心から感動したのは、もしかしたら僕の脳の構造が単純なだけなのかもしれないのだけれど、プロ野球に関心のない人が高校野球見ながら涙ぐむ感じに似ているのです。
 それを最初に感じたのはヴァイオリン協奏曲1楽章の主題で「こんなに美しくも儚い旋律だっかな?」と考え方を改めなくてはいけない。作曲家がどのような気分で創作したのか何も知りませんが、マエストロもレーピンも常に本気。特にレーピンは時間の経過と共に準メルクルにぶつかりそうなほど指揮台に近づいて身体全体で「これこそ音楽」と表現。その志がオーケストラに伝わらない訳がない。そういえばレーピンが天才少年とか言われていた時代もあった。いまでは白髪のベテラン演奏家になっていて、確かな技術は更に進化しているのに、あの鼻に付く技術は音楽の美しさに覆われて全く見えてこない。誰もがそうなれないけれどレーピンの生き様を進化とか成長と呼ぶなら、演奏家としての道程は正しい時間の使い方の一つなのかもしれない。アンコールで「ヴェニスの謝肉祭」が演奏された。(この曲、ウィーンフィルのお正月を思い出す。あの時は誰が指揮でしたっけ?)オケの弦楽器群がピチカートでお手伝いする形。緊張感は皆無?皆が楽しそうに笑顔で弦を弾いていた。
 後半は舞台が演奏家でいっぱいになる。「誰か可愛い女性いないかな?」とか不謹慎などうでもいいことを考える。☆あの美しきハープ奏者の女性はどこの国の人かな。P席の前のほうだったから目の前。赤い髪の毛。ミルクのように白い肌。綺麗な鼻筋。目に力がある。「どのように工夫しても左横顔しか見えない。」と身体をよじっていたらマエストロが登場した。(ちなみに彼女は舞踏会のシーンでどの楽器にも負けないくらいメリハリのはっきりした音を奏でた。)
 「幻想交響曲」はまず自宅では聴かない種類の音楽だけれど、実演では色々な指揮者で何度も体験している。
 そのたびに面白いとかがっかりとか感想も様々。それで今回の幻想は良かった。準・メルクルは凄いな。
 演奏の感想を書くのが嫌になってきたと申しますか、彼らの成功を祈りたい気持ちの方が大きくて、細々考えたくないから止めますが、シンプルな感想を記すなら、淀みのない透明感のある音色。誰もが一生懸命。目の前がバスドラだったからワルプルギスで爆音がお腹に響いた。国も宗教も様々な一期一会のオーケストラによる稀有なベルリオーズ。「若いっていいな!」
 演奏会終了後、演奏家は互いに健闘をたたえあい、握手は勿論のことハグしたり、明るい性格のメンバーばかりなのか数名のトロンボーン奏者はスマホで撮影しあったりしていた。
 ふと思ったこと。もしも自分が音楽の道を目指していて、仮にこの場の一人だったとしたら、きっと異国の誰かを好きになっているのではないだろうかということ。その可能性は高いと感じるのは、なにもハープ奏者に限ったことじゃなくて、長い期間本気で勉強してきて、自分を信じ必死でオーディションを乗り越え、偶然巡り合った仲間と短期間実りのある時間を過す。あまりあるほど彼らには恋愛の資格があると感じられる。
 それでも悲しいのは「ここでお仕舞い。」と明確な期限とセットになっている現実だろうか。大人になるってもしかしたら理不尽な出来事と葛藤だらけで、こんなにピュアでいられないけれど、同じように厄介な期限を乗り越えることを繰り返しているだけかもしれない。今夜のマーラーの後なんか皆が泣くだろうな。お別れだもの。でも当たりまえだけど期限があるからいいのです。誰も最初からゴールの見えないマラソンなんかしたくはない。
 
 音楽の余韻を感じるがあまり、モタモタしていたら新橋行きのバスに乗り遅れてしまった。コンビニでジュースを買って夜風に吹かれながらベンチに腰掛けていたら、柱の翳でバイオリンケースを持った男女が抱き合っている姿が月明かりに照らされていた。青春は美わし。