バイロイト音楽祭「ニーベルングの指環」をラジオで聴きました。

 バイロイト音楽祭ニーベルングの指環」のラジオ音源を聴き、HP上の写真を観て、メモリアルイヤーのリングを演出したカストルフがどのような舞台を作ったのか、話題の指揮者ペトレンコはどうかな?と気ままに想像しながら秘かに楽しんでいる。
 長いのでさすがに集中して全部は聴いていないけれど、気になるシーンだけおおまかに確認してみました。
 演出は動画を観なければ判断できないが、アメリカンな資本主義社会からお話が始まり、中東そして共産圏から脱出した身寄りのないジークフリートがPOSTの前でブリュンヒルデと出会い、最後は精神の病んだ世界で殺されてしまうのかな?
 新聞批評や現地で観た人の書き込みは参考にはなるけれど、自らの楽しみを減らしても勿体無いのでそういうのは軽く眺める程度にしている。
 バイロイト音楽祭は、ティーレマン指揮の「さまよえるオランダ人」は動画配信されているから昨夜鑑賞した。きっと僕には感性がないからだと思うけれど、ものすごくつまらない舞台で途中からどうでもいい気分になってしまった。歌手はそれなりに好ましく感じられた。
                            
 楽しみにしていたライアンのジークフリートは、一生懸命全力で歌っているのはわかるのだけれど、時間の経過と共に徐々に黄・赤の信号が点滅。なんとなくウルトラマンが長時間地球にいられなくて胸のタイマーが鳴り始める状況を思い出した。最近自分の性格が変わったかもしれないと気がついたのですが、昔は野球やサッカー観戦しているとき敵味方関係なく必ず勝っているチームを応援する(可笑しいかな)感情を持っていたのに、ここ数年は敗北或いは逆転の美学と言えばかっこいいけれど、別の表現するならSよりMに目覚め始めたような気がしていて、長々と苦しそうに歌われてもストレスだけれど、心の中で「頑張れ」とジークフリートに声援をおくっていた。つまり調子の問題もあるでしょうが今回のライアンは登場シーンは美声だけれど剣を鍛える辺りだとヘロヘロに聴こえた。ペトレンコは正直よく分からないが、時々轟音で表現されるスラブ的な荒々しさが煩く感じられ、もう少し潤いのある音楽を求めたくなった。でも感情で極端に速度を上げるケント・ナガノよりは良いと思う。
 しかしながら全てはラジオの判断で極めて曖昧なものです。
 それとジークムント役のヨハン・ボータは本当に素晴らしかった。聴くたびに理想の歌手に変化してきているようで驚愕。これもまたラジオの恩恵。体型を思い出してはいけない。
 ここのところ海外のラジオや動画の生中継或いはリアルタイムに近い形で聴くことが習慣になりそうだけれど、そいつが実に面白いからCDやDVDの購買意欲が減ってきたというか、はっきり言うなら興味が無くなってきたように思う。
 パソコンには小さなアンプと小さなスピーカーを接続していて、レコードなんか聴くオーディオとは比較にならない酷い音質なのでしょうが、求めているものが現在の音楽であり、ましてバイロイトザルツブルクなのだから、実演をホールで鑑賞する感覚に近い世界に導かれるメリットがある。そして動画の場合は聴覚以上に視覚の情報が機敏に脳に働きかけてくる。もしかしたらCDやDVDって近い将来販売されなくなるかもしれないと思ってしまいました。それでも大切なのは想像力の問題で、それだけは変わらないと思う。音質を優先させるか、ライヴのリアリズムを追求するのか、録音技術者も苦労されていることでしょう。
 ザルツといえば、ガッティがウィーンフィル指揮した「マイスタージンガー」は動画配信で全て観ました。酷い舞台。ただ演出家はハンス・ザックスの著作を読み研究している人だとは思いました。気力があれば後日感想書くかもしれません。