ここ数日の話

 スカラ座リゴレット」から3週間以上音楽を聴かない生活をしてきましたが、なんとなく耳が寂しくなり、8月にFMで放送していた吉田先生の追悼番組を小さな音でBGMのようにパソコンから流しマンデリンコーヒーを啜った。
 それはアラウだったりシフなのだけれど、先生が「音楽って良いよ。」と語りかけているような気がして、録音もので静かに名曲を鑑賞するのも悪くないと思った。
 ベートーヴェンハ短調最後のソナタを巨匠3人で聴き比べは、音楽番組なのに文学的な余韻が残る。
 例えば、作曲家と同じ国に生まれ育ったケンプの特質を、風土の持つ内的要素が起因し、作品の厳格さ以上に奏者の感情を優先させることを許容したと表現。しかも「人間の心の営み」と説く。これは若きケンプの話で、戦後誰よりも努力し厳格な演奏をしたと続く。
 こういう話は面白い。聴き比べの本質かどうかは別にして、個人的な会話のようにさりげなく「人生とは?」と聴き手に問いかけてくる。だから当てもないのに、この音楽に何かしらヒントがあるのではないかと僕たちは思考する。
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 写真は大家さんが手配する職人さんが切っても切っても生えてくる自宅周りの雑草なのですが、実はこれミントなのです。詳しいことは解らないのだけれどスーパーで250円位で売られているものと同じ匂いがするから、食べて大丈夫なハーブと勝手に判断していて、紅茶に入れたりバニラアイスクリームに添えたりしている。生えたての若葉が香りが強くて美味しい。
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 先日友人が経営するイタリー料理店で夕食をとりました。
 前菜盛り合わせ、カルパッチョ(この日はホウボウ↑)、ピッツァ・マルゲリータ、パスタ・ペスカトーレをオイルベース。3人でシェア。最初はお肉まで突き進む予定でしたが飲みながらだから満腹になってしまった。
 
 ARTE Live Webで、8月に行われたPヤルヴィ指揮フランクフルトのライヴ映像「ブルックナー3番」を観ていたら夢中になってしまった。実に素晴らしいと思った。(フィデリオが聴けないのが残念。)鮮度の良いお魚を自宅の包丁では簡単に捌けないような肉厚で脂ののった旬の鱸みたい。それでいてきちんと血抜きしてあるから生臭くない世界とでも言ったらいいかな。途中あの名人ホルン奏者が音を外した瞬間を聞き逃さなかったが、どうでもいいのは僕は音じゃなく音楽を聴いているのだから。それが大阪PのCDだったにしてもである(笑) 
 いつまで視聴できるのか調べていないけれど推薦します。ここにはケンプやアラウ等と決定的な違い、生きている人の調べがある。音楽の規模や種類を考えると同列で対比なんかできないけれど、とりあえずゲルマン系の世界に導かれるから、この人の場合は成長と共に獲得した外的要因ということなのでしょう。でも時代からなにから異なるから、現代というかここ近年の社会的なシステム(ヤルヴィはFBも頻繁に更新し、面白がっているのか誰かの記事や写真をシェアする。)の恩恵を巧みに利用する。情報は次々と脳に蓄積されるがアウトプットが上手みたいなのは無駄のないアプローチに感じられるし心地が良いから。それでも注意深く聴いていると、かなり複雑な冒険をしているとも気がつかされる。
 この辺りの様式美は内外以外の「第3の学習」と考えてもいいのではないでしょうか。
 ヤルヴィに関しては、youtubeで観たレーピン&パリ管弦楽団とのショスタコーヴィッチなんかスリリングで吃驚してしまった。楽譜を見たことがないから作曲家が望んでいたスタイルなのか疑問だけれど、終楽章でチェロ群がFで唸りをあげる箇所は凄い。曖昧な記憶だけれど、ブレーメン指揮したベートーヴェンの合唱付きでも似たような驚きが訪れたっけ。どれもこれも今まで聴いた事がない音楽。第3・・は大袈裟かもしれないけれど、ハーディングやサロネンも洗練された同種の知覚を獲得しているように思えてならない。とてもオペラ的とはいえないけれど、サロネンの「トリスタンとイゾルデ全曲」スウェーデン放送にしてもそう。面白くてドキドキものです。
 逆に個人的な感想だけれど、NGだったのはシャイー&ゲヴァントハウスの最近のライヴ配信動画。他にはシェーンヴァントのマーラーバレンボイムのプロムスでのリング。歴史は徐々に変化するものなのか、何かのタイミングで変化するのか理解できないけれど、上記の感覚は突如としてやってきた雰囲気。
 そういえば「名曲のたのしみ」ハイドンのときにグールドの演奏があったけれど、この人だけは生きているのか死んでいるのか事情が分からない演奏。
 
 
 ※そろそろシュトックハウゼン「ヘリコプター・・」ライヴ中継が始まる。寝るけど。
 
 いずれにしても久しぶりに音楽を聴くと、朝からエスプレッソとか、数日ぶりの煙草とか、忙しい後の一口目のビールのように毒っ気がありながらも、人生に不可欠な彩りが含まれた快楽なのだと脳に作用した。
 暗闇を歩けば何処で咲くのか金木犀の香り、秋です。