寿司屋のカウンター

 先日市内のお寿司屋さん行ってきました。
 高級店ではないのですが、大将の仕事は超一流で個人的にここが一番美味しいと思っていて、いわゆる江戸前の程の良さ「本来寿司とは庶民の食べ物でなければならない」そう教えてくれる店。端的に説明するならリーズナブルなのですが、それでも特別なときだけ暖簾をくぐる我が日常である。
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 本来写真なんて失礼な話だけれど、言葉には説得力が無い。どうですか、穴子が輝いている。
 最初のうち、日本酒をいただきながら蛸の刺身やハゼの天麩羅をつまみに大将と世間話していたら、「よう!一杯飲んでいいかい?今しとっ風呂してきた。」と江戸訛りの年配男性が入ってきた。久しぶりに来店した常連さんだと直ぐに理解できたが、このオヤジがいい雰囲気で「なんか適当でいいから刺身と、熱燗ちょうだいな。」
 後から聞いたら大工さんで、仕事の運営は息子さんに引き継いで悠々自適の身らしい。
 僕が「親方、カワハギ握って。」と言葉にしたら、オヤジがこっち見ながら「だんなは、さっきから洒落た注文するよな?だけどカワハギは美味いよな。でも俺みたいな庶民には手が出せないんだな・・大将悪いるいんだけど、鮑握っとくれ。」 <はいよ!> 「こりゃ美味いや、同じのまたくれ。」 <はいよ!> 「ウニ。」 <はいよ!> 「今度は中トロ巻いてくんないかな。」 <はいよ!> 「あがりちょうだい。飲みすぎると息子の嫁さんに怒られちゃうから。」 そして「美味しかったよ。ごちそうさん。」 急いで会計済ませて、僕の肩を叩いて「じゃあ、お先。」
 「いいお酒の紳士ですね?」 女将さんが「そう、可笑しな言葉だけれどあの人なんか可愛いの。」
 自分に悠々自適の生活が来るのか、そうとうな確立で駄目だと感じるけれど、こういう寿司屋の使い方をしたいと思ったし年齢を重ねるのも悪くないな。これまで数十年職人として働き続けた男が自由になれる聖域が寿司屋のカウンターであり、どうってことない雑談の中にこれまでの苦労や温かい家庭環境を垣間見る気分。
 それから「二人いいかしら?」と入ってきたのは親子(母と子)で、子供は小学6年らしいのだけれど、鎌倉には様々な種類の人間が生息しているもんで、お酒のせいでもあるけれど危うく暴れそうになってしまった。
 「コーラ飲みたい。」ここまではいい。
 「タコの刺身。」 <はいよ!息子さん飲んべえなりそうだね。>と大将は笑顔だけれど、僕にしてみれば「何が蛸の刺身だ!」 もちろん心の中の愚痴。
 問題はその後の注文。
 「中トロ、さび抜き!」 <はいよ!> ・・・「このガキに大量に山葵を食わせろ!」もちろん心のなかのそれであるが、既に愚痴ではない怒りに似た叫び。
 伊集院静氏の本に「寿司屋のカウンターは子供がくるところじゃない。」とか書かれていたと思いだしながら、あの不良文士が万が一ここにいたら、ぶん殴って店を破壊していた可能性大である。
 しかし、僕にそんな勇気があるはずないから「大将!お酒のおかわりください。」 <はいよ!今日はいつもより飲むね?>
 約30分後、お腹も膨れたし、そろそろ〆ようかな。でも最後に「干瓢巻お願いします。」 <はいよ!> あがりをいただきながら美味しかったな。そのときである。
 母親がアホガキに話かけた「冬休みの旅行はハワイでいい?」 ガキ「ママ、僕ハワイは嫌だな。ヨーロッパがいいな。」・・・ここから暫くの間、僕の記憶がない。もしかしたら絶望のあまり気絶していたのかもしれない。
 気がつけば夜風に吹かれながらふらふらと自宅方面に向かって歩いていたが、それにしてもあの家族はどのような教育しているのだろうか。しかし、もしかしたら自分の考え方が時代錯誤で、あれが世間の常識だったとしたら恐ろしい現実である。
 演出家が他界してから夜になると思考がネガティブになってしまうのです。
 翌日大将に電話して「昨夜はご馳走様でした。来週友人を連れてお昼に伺いたいのですが」 
 <席は大丈夫だから待っているよ。>
 「台風でお魚大丈夫かな?」  
 <美味いものどうにかして仕入れておくから。>
 「よろしくお願いします。」
 <はいよ!>