Ten Selected Love Stories

 読まないままほったらかしていた村上春樹氏の「恋しくて」を読んだ。
 10の短編で構成されていて、そのうち9つが翻訳もの。最後の1つが本人オリジナルで「恋するザムザ」というタイトル。その「恋するザムザ」なのですが、うーん!つまらなかった(笑)
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 ザムザとはカフカ「変身」の主人公の名前で、ある朝巨大な虫に変身している自分を発見するという有名なシーンでスタートするあれだけれど、本著では、ある朝主人公がグレゴール・ザムザに変身している自分を発見するところから始まる。まるで鏡に鏡をあてて反射しあう実像がトンネルになって何処までも続いているような、不可解で虚無な一行目で既にうんざりしてしまったが、短編なので脱力しながらでも直ぐに終わるからとりあえず読んでみた。「変身」を知らない人が、これを先に買ってしまったら・・少々ややこしい話になるかもしれない。(ならないかもしれないけれど。)
 誰かに「読んだほうがいいですか?」と質問されたら「カフカは読んだほうがいいだろうけれど、恋するザムザは別に読まなくても、世界は終わらないと思う。」と返事するような気がする。
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 先日中華そば屋で炒飯を食べていたら、店のテレビで「今年こそノーベル賞だと思っていた・・」と誰かが話していて、よくわからない場所でファンの人たちが集まりパンケーキにコーラをかけて食べるとか?考えただけで具合が悪くなりそうな組み合わせだけれど、どこかで読んだ気がするのは村上さんの小説だったかもしれない。世の中は平和・・・・それでここの炒飯は美味しいので時々食べにくる。横のテーブルにいた強面青年のスマホが突然鳴り出し、いきなり見た目からは想像できない丁寧な言葉で話し始めた。別に騒音とかそういうのではなく、誰もいない空中に頭を下げながら「明日、朝一番で対応させていただきます!」と大きな声で話していて可笑しかった。そして男はラーメンと炒飯と餃子を飲み込むようなスピードで食べ始めた。
 それで本なのですが、登場人物の会話が他の翻訳ものと同じようなリズムで進んでいることが気になる。
 これは昔からの特徴でもあるのだけれど、僕は個人的にアメリカ文学が苦手なので氏の翻訳をこれまで殆ど読んでいない。(オリジナル小説は全て読んでいる。エッセイが苦手。)つまり新鮮でありながら不自然な言葉が際立ってしまう。わかりやすくいうなら日常で起こりえない会話。でも、なんとなく会話というより台詞のような印象。舞台のそれではなく、もっと平板なやり取りなのは、都合のいい虚構の中だけで命が与えられているようで、メールの送受信に似ている。僕にはそう感じられた。
 
 現実はもっと柔軟で、汗ばんでいて、泥臭くて、危険で、潤いがあって、艶かしい。