トリノ歌劇場公演「トスカ」

 トリノ王立歌劇場日本公演
 プッチーニ歌劇「トスカ」
 カヴァラドッシ マルセロ・アルバレス
 スカルピア ラド・アタネリ
 演出 ジャン・ルイ・グリンダ
 指揮 ジャナンドレア・ノセダ 他
 12月5日18時30分~ 東京文化会館
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 友達の友達がジャパンアーツの招待枠の申し込みをしてくれて、奇跡的な確立で当たってしまった実に貴重な無料鑑賞。いつもなら天井桟敷から羨望の眼差しで見下ろす文化1階席なのは、周囲を気にせず「ここは僕の席です」と堂々と腰掛けることができるもんだから、年内のツキを全て使い果たしたみたいで、今後100日間は不幸な出来事が続いてもどうにかなる気がするし、いずれにしても視覚的弊害が生じることなく悲劇「トスカ」が披露された。
 
 始まる前に入口で受け取った大量のチラシを見ていたら衝撃的な演奏会を発見。
 7月にファイナルツアー「ルネ・コロ リサイタル」一瞬トスカどころではない気持ちになってしまい動揺した。
 後で計算したらコロは来年77才だから、きちんと歌えるのか不安はあるけれど、一時追っかけに近い精神状態を作り出してくれた名歌手だから、権威あるベックメッサーが歌い間違えを指摘しようがなんでも構わないし、極東のファンの為に時間を捻出してくださる舞台人の器量に感謝しないではいられない。まさかオペレッタだけしか歌わないことはないでしょうし、1曲くらいワーグナー?過度な期待はしないけれど、願わくば「冬の旅」が聴きたい。詳細は未定。リサイタルの日まで僕は注意しながら生きなければならない。賞味期限に則した食事を選び、手を上げながら横断歩道だけを歩き、黄色い線の内側で電車を待つだろう。
 
 「トスカ」
 当初はバルバラ・フリットリが歌う予定でしたが、今後は自分の声の変化に合わせ役を選ぶ道を進む(芸術的理由と表記されている)そうで、最近メトで色々歌っているラセットに変更になった。別日にはノルマ・ファンティーニが表題役なのだけれど、あの人はやたら大袈裟な歌い方をするのでちょいと苦手で、僕は純粋にラセットに期待していました。写真では美しい・・ところが舞台上の彼女は太ったオバサンにしか見えなかったから「果たして同じ人だろうか?」が第一印象。ビブラートが激しいから時に何を歌っているのか理解できない。それでも一生懸命役柄を研究しているのかブレのない意志の強さが見えてくる。つまりオペラ好きなアメリカ人が喜びそうな歌手だとは思うけれど、クレイジーアメリカ人が喜びそうな華が無い。トスカは歌姫だから歌以前に女優としてのオーラを求めたくなる。
 アルバレスは、小生が絶滅危惧種テノール馬鹿」の要素がある数少ない歌手だと期待しているのですが、このまんまいくと「ただの馬鹿」で終わりそうな気配を醸し出していた。素晴らしいからとりたてて不満はないし拍手はしたけれど、聴くたびに感動しないのは、いつも安定を求めた歌唱が優先されてその先が無い。「石橋を叩く」性格なのかな?とりあえず渡ってから考えればいいのに。
 スカルピア役のアタネリは新国で聴いたことがあるし何となく馴染みの人。今回の舞台では一番印象に残った。個人的な感想だけれど、以前からスカルピアってある程度若い人だと思っていて、動画で見られる有名なコーネル・マクニールやティト・ゴッビは素晴らしいけれど、水戸黄門に出てくる悪代官的ジジイが女性の帯を引っ張っている状況を思い出していた。ところがアタネリはそういう風には見えない。演出の影響も否定できないが、共和主義者を投獄しつづけた王政側の警視総監という役柄を考えると、この男はただのパワハラのスケベではなく、知性を保持していなければ説明がつかない。オペラの台詞だけでは救いようのない人物像だけれど、どのような芸術を好み、どのような食を好み、どのような性癖をもっていたのか想像してみるのも良い手立てではないかと思う。例えば武士がいちいち「切捨て御免」というような行間は最初から持ち合わせていなくて、谷底に落ちそうな被害者の指を切れ味のいいナイフを使い表情を変えないで一本ずつ刺し続ける。噴き出す血液を快楽の源とし、レアなジビエを赤ワインと共に胃袋に流し込む。権力者のみに許されるクールで猟奇的遊戯。
 伝統的なイタリーのナイフはトスカーナ地方のスカルペリアで作られ始めた。19世紀の伝承者はベルディという職人。台本を書いたジャコザとイルリカがプッチーニの作品に対し、オペラ王の名前を意識したかどうか?僕には分からない。クールなスカルピアを演じたアタネリはグルジア出身とのこと。
 ベルディ工房のシャンパンサーベル。50,000円らしい。 
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 演出はいきなりトスカが聖アンジェロ城から飛び降りる動画でスタート。
 体操選手のように宙に浮いた瞬間にノセダが棒を振り下ろす感動的?な出だしで、それはそのまんま最終シーンにリフレインのような形で、トスカの視線が投影され、カヴァラドッシの元にかけつけたい歌姫の最後に見た景色は城の下の茶褐色の土だったという虚無な現実。夢見るようなあの世は存在しない。血塗られた痛みだけが残る。他にも細々した工夫は沢山ありましたが、映像の影響からか、二幕のテーブルが横に長いからか、舞台表現に奥行きがなく左右の広がりに終始。それは常に動画のような印象を与え、聴き手は悲劇の表層的な部分のみ見せられているように思われた。
 
 そして指揮のノセダに言いたい!
 「お前はジャンジャカ伴奏が煩いんだよ!」
 
 それから僕の後ろの席のオヤジにも言いたい。
 「ブラボー!」ばかり叫びやがって、せっかくの一階席なのに、ちょいと品格に欠けているように思いました。
 
 休憩時間にTさんに会い最近の音楽事情(ティーレマンの悪口ともいう)について語り合う。
 「僕の隣の席空いているよ。」
 「大丈夫かしら。」
 「大丈夫。」
 かくして、後半は美女とS席で鑑賞。
 終演後、僕の代理店勤務時代の友人と遭遇。 
 3人でロッテリアに移動し、楽しい時間を過ごしました。
 
 さあ、来週はマエストロ小澤だ。