月蝕書簡と冬の記憶

 1月7日(火)なにげなく入った藤沢の古本屋。
 ≪寺山修二未発表歌集「月蝕書簡」≫田中未知編岩波書店 
 著者が他界し25年経過した2008年に発売されたみたいだけれど不覚にも存在すら知らなかった。
 世の中大半の寺山ファンは舞台や映画或いはエッセイを含むあの巧みな文章とを結びつけ作者を知ることになったのでしょうが私は短歌が最初の驚きだった。
 <煙草臭き国語教師がいうときに明日という語は最も悲し>
 純粋性にドキリとさせられ心の奥のほうのなにかに響いた。
 <マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身擦つるほどの祖国はありや>
 この歌の関しては古の作品引用の事実を学習したが独特のリズムと得た告発は寺山そのもの。
 
 
 
 ※やっぱり駄目だ。
 中勘助の真似をして極力句読点を減らそうと努力したのだけれど、ただのアホ文章になる可能性がかなりの確立で高いと僅か数行で理解。上記の歌は記憶のまま書いているから、どこかしら文字が違うかもしれない。
 とにかく少年が初めて購入した寺山さんの本は歌集で、夜中に開いてはいちいち戦慄していた。純粋だったのです。ちなみにこの人を覚えたのは、それ以前遥か子供時代、日曜日の午後3時頃に父親が夢中になっていた競馬中継解説の人という印象。
 「競走馬をギャンブルの道具として見ないでもらいたい気持ちが僕にはあって、今日のテンポイントは○○騎手だから応援したいし、我々とかわりのない命が馬にあるということを感じてほしい・・」とかボソボソ語る顔色の悪い競馬の専門家だと思い込んでいた。
 「来週の日曜日はどこかに行こうか。」と、息子を不憫に思ったのか父の言葉。
 「ほんとう?!ボク競馬場に行きたい!」
 そこから先の記憶が曖昧だがパドックの馬を見ながら
 「どれが速いの?」
 「わかんない。」
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 そんなこんなで、詠んだことがない作品が網羅されている本を素通りできるはずもなく、値段を確認「なんだ安いじゃない」ってんで購入した。歩きスマホが社会問題らしいけれど、僕は学生時代、本を読みながら電柱にぶつかったり、車に轢かれそうになったりしていた。下手したら今もそんな感じだから突然彼の世に行ってしまう事故が発生するかもしれない。思い出しついで書くなら、ある秋の日僕は年を取ることを拒否した。ブリキの太鼓じゃない。ウエルテルである。
 <パイロットひとりひそかに発狂し月明をとぶ旅客機もあれ>
 先日飛行機に乗ったばかりだから、万が一このような機長がいたらどえらい話だけれど、いきなり乱気流に巻き込まれたのかジェットコースターのようにふわりとして、隣の淑女が「ギャー!」と言った。
 
  
 人の気配を感じ本を閉じたら、この情景が飛び込んできた。
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 地中から冷え冷えとした大気が体内に入り込み、無意識のうちに大地を踏みしめ重力を全身で確かめた。
 沸き起こる拍手の中「歩道じゃなくて、どこか公園でやればいいのにね。」と誰かが言った。
 <百日紅しずかに狂いゆく父か一艇身の差で破産して>
 グツグツ鍋が揺れていたモツ煮込み。無造作に一升瓶からそそがれた小さなビール用のグラス。
 「これあったまるよ。」
 「おいしい!」
 百日紅の季節じゃない。葉も花もない冬。
 駅に向かう項垂れた人々。どこかで誰かが喧嘩。埃。
 「なんであの人穴を掘っているの?」
 「わかんない。」
 
 
 背中で壮麗な木遣の響きがビルに木霊していた。
 <地の果てに燃ゆる竈をたずねつつ父ともなれぬわが冬の旅>