ラシーヌ悲劇「フェードル」シェロー演出 講演会

 ≪主催早稲田大学演劇博物館「卓越した大学院拠点形成プログラム」共催早稲田大学演劇映像学連携研究拠点・京都造形芸術大学舞台芸術の創造・受容の為の領域横断的・実践的研究拠点)・日仏演劇協会・ジル・ドゥクレール(Gilles Declercq)パリ=新ソルボンヌ大学、演劇研究科主任教授、同大学演劇研究センター所長による特別講演会・・パトリス・シェロー演出のラシーヌ悲劇「フェードル」における剣≫・・というなんだか混乱しそうなタイトルの講演を受講してまいりました。
 3/3 14:30~ 早稲田大学6号館318教室 
 ようは17世紀仏演劇の専門家が2003年発表のシェロー演出「フェードル」についてお話してくださる企画。
 MFさんのご紹介で出動しました。
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 こういう話はどこから説明をしたらよいのやら・・?
 
 
 ジャン・ラシーヌは17世紀フランスの劇作家で計11(2つ宗教題材、9つ世俗的題材)の作品を創作している。
 その代表的作品が「フェードル」 ご興味のある人は個々にお調べください。岩波文庫に翻訳あり。元のタイトルは「フェードルとイポリート」 /フェードル役がドミニク・ブラン イポリートは何度聞いても名前が覚えられないシェロー好みの男 テゼーがパスカル・グレゴリー
 
 以下、自分が忘れないために書きます。ドゥクレール教授の公演は素晴らしい内容でしたが、僕のシェローに対する思いとは根っ子の部分で派閥が異なる気持ちを抱いた。
 の箇所は己のイマジネーション。
 
 ◎ 舞台と演劇とは「お客が鑑賞する」「役者が互いに言葉を聞く」二つの要素から構成されている。
 演劇的空想力 イマジネーション 他の演出或いは本で印象が異なる。
 ◎ テキストの書き直し・・石に刻んである文字を削り書き直した。・・・昔の人って大変。
 ◎ セネカの存在。
 ◎ ステファン・メイジの映像を高く評価。・・・・・あんまり好きじゃない。DVD編集無しでそのままの映像と、
 映像作家による編集バージョンを選べるシステムが機能として加わると面白いと思う。CDにしても同様に感じていて、なにも一階席センターが理想とは思えない。P席からの音を聴いてみたくなることもある。
 
 演劇的空想力→シェローは一本の剣を使用した。・・・※なんとなくノートゥンクに見えた。
 剣は無くても上演は可能。普通当時のテキストにト書きは無い。・・・あとから専門家にご教示いただいたら「フェードル」には一つだけ書かれていて、それはラシーヌの椅子とのこと。驚いた。
 ラシーヌ(1639~1699)この時代はルイ14世。・・・確か財務担当がジャン・バチスト・コルベール。映画「愛するものよ列車に乗れ」で登場する画家の名前がジャン・バチストだったと思い出した。彼の葬式のために美しき男たちがリモージュに集う。その中にHIVポジティブが一人。争いからグラスが割れ手から出血。割れたグラスの上を女装したヴァンサン・ペレーズが歩く。繊細なシーンだ。思えばシェローの恋人はエイズで他界した。
 
 シェローの美意識
 ① 「対決」 それは身体と身体のぶつかりあい
 ② 「絵画、美術的知識」
 印象に残る作品をドゥクレール教授は3作言葉にした。「いさかい」 「綿畑の中の孤独」(ドラックのディーラー役で本人も出演 http://www.youtube.com/watch?v=1Mt9XyoYnY8  そして「王妃マルゴ」 
 シェローは「フェードル」最終場面でイポリートの遺体を置いた。周辺は血の海。テゼーが血を顔に塗る演出を「儀式的な象徴として具現化」とのこと。にマルゴとの共通性を見出す。遺体を抱える死体処理係の描写を「エタ」であると指摘。・・・ピエタ的だとは気がついていたけれど、誰かを抱えるときって普通にピエタになるのではないかと思った。それと、実際映画のあのシーンで主人公はまだ死んでいない。ここは教授の勇み足。
 そしてマルゴにおける最大の絵画的場面は冒頭の婚礼。そして荷車に載せられた死体の山。ここだけはどうしても譲れない。(オペラ演出でのベックリン「死の島」これは誰でも気がつく引用。)
 
 ◎ 「剣」重い剣は死の象徴。
 2幕フェードルが告白する場面。剣を床に置き愛を語る。フェードルとイポリートが寄り添い立てる場面で、イポリートが剣を床に向けて縦に持つ。ここを分離と表現。イポリートがフェードルを脅し、左の乳房に剣を突き刺す。暴力的イメージとのこと。幕は異なるが嫉妬の場面。そして上記のテゼー血の儀式。
 ◎ シェローは5場6場を重ねた。必然的に二人が一緒にいる時間が長くなる。・・・・この部分は個人的に最も好きな場面。時間軸以前に主役同士の台詞が交錯し独特の緊張感が生じ実に繊細と感じ入る。
 ◎ シェローは実際には登場しない役柄をステージに出した。(話には出てくる)白い衣装に身を包んだフェードルの子供。白は純真の象徴。乳房に剣を刺すところを少し離れた場所から子供が見ている。そしてフェードルに手を差し出す。教授の解説では「母親に向けられた手ではなく、不埒な恋人に向けられた思い」・・・・・判断が難しいけれど、僕にはそのように見えなかった。感想は割愛しますが、狂ったようなブランの演技に驚愕した。
 ◎ ラシーヌのト書きは内的な存在。17世紀のテキストは読み手に向けて書かれたものではない。全て役者の為のもの。
 ◎ エノーヌが剣を示し語る箇所は観客が見ていないイメージ。・・・意味がわからない。
 ◎ シェローとラシーヌの重層化 シェローはセネカの反逆的なところに惹かれた。つまりセネカの中の暴力性。ラシーヌの背後から古代演劇の悲劇を導き出した。
 以上が気になりメモを取っていた箇所。たいした思考もできない自分に反省。
 
 
 
 質疑応答。セネカの暴力性について疑問をお感じになった人に教授は答えを的確にお伝えになった。
 その中で映画「インティマシー」「ソンフレール」等を例にあげ、またシェローのオペラ演出での功績も言葉にされたから、フランス演劇から多少外れてもいいかな?と勝手に判断して、二番目の質問は僕から・・
 同時に2つの質問をした。まず、ロームブレッセ、インティマシー及びマルゴを例に性描写の激しさに言及。人道的な知見から優しさの欠落を指摘。なぜそうだったのか?もう一つはスカラ座におけるトリスタン上演、マイヤーの歌う「愛の死」での頭部からの出血事故。DVD製作において通常であれば別のテイクを使用するだろうに、あえて事故を使用したのは「フェードル」同様に儀式的象徴の具現を見出したからなのか?
  http://www.youtube.com/watch?v=2L1ooVmp75k  ←「ロームブレッセ」より
  http://www.youtube.com/watch?v=wys9BZMBE-E&index=2&list=PL2gQ8qi1Mdawri37N4CzKjlRyp02gpOSD ←インティマシー(大人しか見ちゃだめらしい)
  http://www.youtube.com/watch?v=03fIyARNtpY ←「トリスタンとイゾルデ」からマイヤーの歌う「愛の死」
  http://www.youtube.com/watch?v=tm6s8IX5IzM&index=2&list=PLIW5jLAKGXZNG7u6LDrZ3Jf6q1mBwMBCu ←「フェードル」のラストシーン 教授の言う「血の儀式」カーテンコールでブランの後方に微かにシェローの姿
  先生の答え・・まず「トリスタンとイゾルデ」は観ていないからわからない。・・観ていないって!拍子抜け。ありえないと僕は思った。
 ただ質問に対してどこかに火がついたのか、その後10分くらい僕の目を見て話してくれた。フランス語だから理解できない。同時通訳女性の素晴らしさに感謝。
 血と暴力でシェローは居心地の悪さを見せた。相手に与える快楽やらサディスティックなものでもない。暴力は無償のものではない。あくまで儀式的。そして汗と血を強調、数回にわたり居心地の悪さを繰り返した。マルゴのポスター血まみれの衣装はアメリカで採用されなかった。・・・アメリカはそういう国です。くそったれ!
 あの情景を見て心地良い人がいたら正常ではないとも言葉にした。・・・そうかもしれないけれど、人を殺さなければ満足できない猟奇的変人だっているのだから断定的な解釈はいかがなものか。
 
 
 その後別の人が質問、またセネカについて。・・・セネカは大切だと思うけれど、このセミナーとあんまり関係ないんじゃないと思った。
 
 
 それとアレクサンドラン等の韻律問題を覚悟していたのですが、シェローは拘らずに劇を進めていた。
 
 正直な話、反論したくなる解釈も幾つかあったけれど仕方がない。勉強になったし大学生気分も味わえた。しかし早稲田はいいな!ここで学びたかった。色々書きましたが素人のメモが参考資料ですから間違いもあるかもしれません。
 
 お開き後、帰ろうかなと思っていたら御婦人から声を掛けられた。「素晴らしいご質問でした。ずいぶん沢山シェローをご存知みたいですから、お時間あればドゥクレール先生を囲みながらお茶でも。」素直な僕はそれに従い、校内のカフェに・・実は後から判明したのだけれど、お声を掛けてくれた女性は京都の教授の奥様で、珈琲片手に映画やオペラ談義した男性は元早稲田大教授、造形大準教授。その後「ぜひ一緒にお寿司屋さんに行きましょう。」って、「すいません。お寿司ってどのくらいの金額でしょうか?」・・「ご心配なさらずに、少しの金額で大丈夫でしょう。お持ちでなかったらお貸しします。」
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 かくして寿司屋のカウンター。日本酒で乾杯。ここでは静岡舞台芸術センターの方と元学習院の教授とお話ができました。もちろんドゥクレール教授とも。生魚のお好きなフランス人。
 シェローについてこんなに沢山お話ができるとは思いもしなかった。こんなこと人生最初で最後だったかもしれません。
 意外な事としてシェローに関して、なんというのか?芝居研究分野の人はオペラや映画とどこか無縁なのかもしれない。勿論知識は半端なものではないから教えていただくことばかりだけれど「エレクトラ」や「死の家」「ガブリエル」そしてグレゴリーやブラン、アングラート等の役者について、バレンボイムブーレーズ等の音楽家との関係、もっと『現場の生々しい情景』を知りたいと思ってしまった。なんで死んでしまったのだろう。シェローに会いたいと強烈に思った。
 いずれにしても、非常にお安い授業料(お寿司)感謝申し上げます。
 そういえばコハダに数箇所の隠し包丁は舌の上でサラリと旨味がやってきた。
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 鎌倉駅ギリギリで終バスに間に合いました。